レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年10月1日
- 登録日時
- 2020/04/04 16:38
- 更新日時
- 2022/02/24 14:11
- 管理番号
- 名古屋市港-2021-001
- 質問
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解決
名古屋市港区の新田を干拓するにあたって、どこから土を持ってきたか知りたい。
- 回答
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愛知県知多郡加家村(かけむら)から取ってきた赤土を土俵にして高く盛ったと言われています。この赤土は船で運んだようです。なお、愛知県知多郡加家村は現在の愛知県東海市にありました。調べた資料は以下の通りです。
『港区の歴史』(山田寂雀/著 愛知県郷土資料刊行会 2009年)p.55に、『港区のおいたち聞き書き 5回』の座談会での発言があったと記載されていましたので、『港区のおいたち聞き書き』(名古屋市港区役所/編 名古屋市港区役所 1964年)の第1回から5回まで確認してみました。すると、第1回p.17に語り手の伊藤文四郎氏の発言で知多郡から、第5回p.9では語り手の桜井梅次郎氏の発言で知多郡の加家から赤土を船で運んだことが記述されていました。
また、『南区の歴史』(三浦俊一郎/著 愛知県郷土資料刊行会 1986年)p.122には、知多郡から採ってきた赤土の土俵を上に高く盛ったという記述や『港区 社会科資料集』(名古屋市港区教育振興会 1966年)p.24には東海通~土古の堤防は、一番下にもっこに石をつめて、その上にさいつちをのせて、更に上に土(知多郡の方から運んだようである)を盛ったとありました。そこで、知多郡の加家村があった場所を調べることにしました。
『東海市史 資料編 第1巻』(愛知県東海市 1971年)p.256-258、p.261-295に加家村の免停、願書、宗門御改帳の記述がありましたので、知多郡加家村は現在の東海市にあることが分かりました。
また、インターネットで検索したところ、愛知県東海市が作成した「とうかい市 東海市キッズページ」(http://www.city.tokai.aichi.jp/7114.htm[2021年10月1日最終確認])には沿革図表が記載されており、加家村から荒尾村、上野村、上野町、東海市に変遷したことが分かりました。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 中部地方 (215)
- 農業経済・行政・経営 (611)
- 参考資料
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山田寂雀 著 , 山田, 寂雀, 1925-. 港区の歴史. 愛知県郷土資料刊行会, 2009. (名古屋区史シリーズ)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010578334-00 , ISBN 9784871610803 -
名古屋市. 港区のおいたち聞き書 第1回. 名古屋市港区, 1963.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001291589-00 -
三渡俊一郎 著 , 三渡, 俊一郎, 1913-. 南区の歴史. 愛知県郷土資料刊行会, 1986. (名古屋区史シリーズ ; 9)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001811916-00 , ISBN 4871610403 -
名古屋市港区教育振興会/編 , 名古屋市港区教育振興会. 港区 : 社会科資料集. 名古屋市港区教育振興会, 1966.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I026183241-00 -
東海市. 東海市史 資料編 第1巻. 東海市, 1971.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001230911-00
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山田寂雀 著 , 山田, 寂雀, 1925-. 港区の歴史. 愛知県郷土資料刊行会, 2009. (名古屋区史シリーズ)
- キーワード
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- 名古屋市港区
- 新田
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000280218