レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年10月27日
- 登録日時
- 2020/02/05 13:33
- 更新日時
- 2020/10/02 13:18
- 管理番号
- 相大-R1-021
- 質問
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解決
相模大野6丁目にある「南保健福祉センター」の戦後直後頃の地図、土地の歴史背景が知りたい。
- 回答
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以下の資料を提供した。
『相模原市史 現代図録編』
『相模原市保険医療計画 みんな元気さがみはら健康プラン21』
『相模原市史 現代テーマ編』
『相模原市史 現代通史編』
『相模経済新聞 2005~2006 製本版』
- 回答プロセス
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郷土資料の棚より関連のありそうな資料を直接探す。
●地図を探す。
➀『相模原市史 現代図録編』 相模原市総務部総務課市史編さん室/編 相模原市総務部総務課市史編さん室 2004 【s23175177 K1-21】
p12 「まちの変ぼうと土地利用の移り変わり」
相模大野周辺の土地利用図(1/25000)として、大正10年、昭和29年、昭和43年、昭和51年の地図あり。
p22 「まちの変ぼう 相模大野駅周辺」に1954(昭和29)年修正、1:25000地形図「原町田」あり。
p188 「団地住民のくらし」にセンター周辺地にあたる相模大野について下記の記述あり。
「1958年(昭和33)首都圏整備法による市街地開発区域第一号の指定を受けて団地が建設」
●南保健福祉センター周辺の歴史的背景
②『相模原市保険医療計画 みんな元気さがみはら健康プラン21』 相模原市保険福祉部保険福祉総務課/編 相模原市 2002 【s21160288 K1-49】
p22 「Ⅲ計画の基本方向 3リーディングプロジェクト」の1として「地区保健福祉センターの整備」があげられ、中圏域(北・中央・南)に地区保健福祉センターを整備する計画ができた。
③『相模原市史 現代テーマ編』 相模原市教育委員会教育局生涯学習部博物館/編 相模原市 2014 【s32753527 K1-21】
p574-577 1958年4月「首都圏市街地開発区域整備法」の公布、施行に先立ち
・1956年8月の県による候補地選定理由書に相模大野地区を居住地区として開発するとあり。
・1957年8月相模原市が県に提出した「相模原地域市街地開発整備方針」では、配慮すべき事項として「居住施設対策として公営、公庫住宅等の集合住宅の建設を行うこととし」とあり。
→※『相模原市史 現代資料編』p615
・1959-1966年 相模大野、上鶴間、鶴ケ丘、上原、相模台の五つの公団住宅が完成。
→※『相模原市史 現代資料編』p867第1表
※『相模原市史 現代資料編』 相模原市(市史編さん室)/編 相模原市(市史編さん室)
2008 【s25295239 K1-21】
④『相模原市史 現代通史編』 相模原市教育委員会教育局生涯学習部博物館/編 相模原市 2011
【s30972830 K1-21】
p720 1997年1月、小川市長が当選し「第4次 総合計画『新世紀さがみはらプラン』」を設定。
福祉文化都市建設を目標としてあげる。
p723-725 2002年4月「中核市」に移行が正式決定。
独自に保健所を設置して保健衛生行政を担当できるようになった(それまでは県)
財源としての地方交付税も増額される。→「さがみはら健康プラン21」の策定へ
⑤『相模経済新聞 2005~2006 製本版』 相模経済新聞社 【s24440992 K1-07】
2005年4月1日 11面に「南部の保健福祉拠点が誕生」の記事があり。
市が都市再生機構から無償で取得した敷地3190平方メートルに、総工費約20億円で南保健福祉センターが建設されたとある。
注:【 】は自館の資料コードと請求記号
- 事前調査事項
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南保健福祉センターは2005年4月1日に開設された
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
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- 『相模原市史 現代図録編』 相模原市総務部総務課市史編さん室/編 相模原市総務部総務課市史編さん室 2004
- 『相模原市保険医療計画 みんな元気さがみはら健康プラン21』 相模原市保険福祉部保険福祉総務課/編 相模原市 2002
- 『相模原市史 現代テーマ編』 相模原市教育委員会教育局生涯学習部博物館/編 相模原市 2014
- 『相模原市史 現代資料編』 相模原市(市史編さん室)/編 相模原市(市史編さん室) 2008
- 『相模原市史 現代通史編』 相模原市教育委員会教育局生涯学習部博物館/編 相模原市 2011
- キーワード
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- 南保健福祉センター
- 相模大野
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000273640