以下の資料から関連の記述を確認しました。
・『千人武者行列』(高藤晴俊/編著,日光東照宮/監修 下野新聞社 2015)
「資料・解説編 一.江戸時代の祭礼 江戸時代の行列立」より「御祭礼奉行」(p.126-127)
「祭礼の執行責任者として、幕府から譜代の大名がその都度派遣された。奉行は二名で、当日は衣冠の装束を着け、渡御祭には本社の神輿の前を徒歩で供奉した。また、祭礼の警護の任務も帯びており、渡御行列の通る沿道に家臣を配備した。」とあります。
・『東照宮史』(別格官幣社東照宮社務所/編・出版 1927)
「第六章 祭儀 大祭」の項目に、以下の記述があります。
p.171「日光奉行は衣冠で御殿の北門前に控へます。また祭禮奉行両人は束帯で三佛堂へ入り、神輿の出御に及んで、堂前に出てこれに供奉いたすのであります。」
また、神輿渡御の際の行粧について、祭礼奉行については以下のように書かれています。
p.174「御祭禮奉行 二人、二行、赤色衣冠、宿坊の院代相随ふ、素絹輪袈裟」
・『社家御番所日記 第15巻』(別格官幣社東照宮社務所/編・出版 1975)
巻頭の解題に以下の記述があります。
p.6「御名代・御祭礼奉行両任ともに、その任命、参向、復命等に甚だ煩瑣な手順を踏んでおり、御祭礼奉行を勤める大名は衣冠徒立ちで渡御の神輿に供奉するのを例とし、神祖に如在の恭敬をつくした。」
巻末の史料に「御名代・御祭礼奉行」の項目があります。(p.650-688)
柴田豊久氏の調査に基づき、元和3年~明治元年までの歴代の名代と祭礼奉行を、年表形式でまとめています。
以下の資料には、日光祭礼奉行の記述は確認できませんでした。
・『日光東照宮の成立』(山澤学/著 思文閣出版 2009)
・『栃木県史 通史編5』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1984)
・『日光市史 中巻(近世)』(日光市史編さん委員会/編 日光市 1979)
・『日本紀行文集成 第4巻 新装版』(日本図書センター 2001)
・『日光社参と日光例幣使』(大島延次郎/著 下野史学会 1956)
・『日光山の歴史と文化』(中村安孝/編 名著出版 1980)
・『柴田豊久著作集 近世日光下野刀剣考』(柴田豊久/著 柴田豊久著作刊行会 1983)
・『江戸時代役職事典 改訂新版』(川口謙二/〔ほか〕著 東京美術 1992)
・『江戸役人役職大事典』(新人物往来社/編、発行 1995)
・『江戸幕府大事典』(大石学/編 吉川弘文館 2009)