次の資料に讃岐国里海庄やその出典についての情報あり.
どの資料も場所の詳細については記載がない。
・日本荘園史大辞典 瀬野精一郎/編 吉川弘文館 2003
p.404「摂関家領一覧」の中の「東北院領」の表の中に「讃岐 里海荘」あり。
この表は、「嘉元3(1305)年当時。」と説明があり、
出典は「嘉元3(推定)・暦応5年正月日「御摂録渡荘目録」(「九条家文書」)」となっている。
・日本荘園大辞典 阿部猛,佐藤和彦/編 東京堂出版 1997
p.782「里海庄 さとうみのしょう」の項あり。全文は次の通り。
「讃岐国の荘園。比定地未詳。後一条天皇の乳母藤原美子の私領であったが、
中宮彰子に本家職を寄進し、彰子の御願寺であった東北院領となり、
摂関家渡領として相伝される。一方、領家職は美子が領有し、その子孫に相伝されるが、
数代の相伝を経て顕季流藤原氏が領有するようになった。」
・角川日本地名大辞典 37 香川県 角川書店 1985
p.362-363「さとうみのしょう 里海庄」の項あり。次のような説明あり。
「鎌倉期~南北朝期に見える荘園名。讃岐国のうち。比定地不明。・・・」
この説明中に「讃岐国里海庄」の出典として次の3点が掲載されている。
(1)「東野州聞書(群書16)」
(2)「鎌倉遺文 12315、15100」
(3)「図書寮叢刊 九条家文書」
当館に上記(3)は所蔵していないが、(1)、(2)については
次の所蔵あり。
(1)群書類従 第16輯 塙保己一/編纂 続群書類従完成会 1987
p.481-511「東野州聞書」の中の
p.505に「讃岐国里海と申所を。」あり。
(2)鎌倉遺文
・鎌倉遺文 古文書編 第16巻 文永12年(1275)-建治2年(1276)竹内理三/編 東京堂出版 1979
p.254に「12315」あり。
文書名「妙意申状 兼仲卿記弘安七年二月巻・同三月巻裏文書」
本文中に「里海」の記述はなし。
文末に「建治二年後三月 日」とあり。(建治二年は1276年)
・鎌倉遺文 古文書編 第20巻 弘安6年(1283)-弘安8年(1285)竹内理三/編 東京堂出版 1981
p.141-142に「15100」あり。
文書名「妙意申状 兼仲卿記弘安七年三月巻裏文書」
本文中に「被仰下東北院御領讃岐国黒※海庄・・・」とあり。(※原文ママ)
「〇本文書は12315号へ建治二年後三月日妙意申文の首部なるべし。」との注記あり。