レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018/01/30
- 登録日時
- 2018/03/24 00:30
- 更新日時
- 2018/03/24 00:30
- 管理番号
- 6001030127
- 質問
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解決
奈良県橿原市の信光寺は何年に創建されたのか知りたい。
- 回答
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慶長一七年(一六一二年)の創建とされているようです。
・『橿原市史』(橿原市史編集委員会/[編]著 橿原市役所 1962)p.439
信光寺の由緒の欄に「慶長十七年神保長三郎創建延宝六年寺号を称す」とあります。
・『大和・紀伊寺院神社大事典』(平凡社/編 平凡社 1997.4)p.469-470
「信光寺」の解説には「御坊(ごぼう)町の西部にある。金剛閣と号し、浄土真宗本願寺派。本尊は阿弥陀如来。畝火(うねび)御坊と称し、京都西本願寺大和五ヶ所御坊の一つ。慶長一七年(一六一二)の創建という(大谷本願寺通紀)。寺伝によると、当地の領主神保長三郎が能に精通しており、たまたま能の名手である本願寺坊官の下間少進仲之と親しかったことより、仲之を通じて西本願寺准如に寺地を寄進し御堂建立を依頼した。慶長一七年建立に取りかかり、同一九年七月二七日に入仏法会を勤め、元和五年(一六一九)因幡国鳥取御坊(現鳥取市)にいた河内国光福寺性覚を留守居とした。延宝六年(一六七八)二世恵海のとき准如の諡号である信光院にちなんで光福寺から信光寺と改めたという。慶長日記(西本願寺蔵)のなかで慶長一七年七月に「和州畝火ノ新御坊ノ移徙ニ付」西光さいこう寺(現京都市下京区)が下向していることがみえ、畝火御坊の成立については裏付けられる。」とあります。
・『真宗全書』第35巻(妻木直良/編 蔵経書院 1914)p.54
「(慶長)十七年 (中略) 是年創和州畝傍別院」とあります。
※この資料は、国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950296(2018/1/30現在)
p.54は、コマ番号34です。
[事例作成日:2018年1月30日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 寺院.僧職 (185 8版)
- 参考資料
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- 橿原市史 橿原市史編集委員会∥[編]著 橿原市役所 1962 (439)
- 大和・紀伊寺院神社大事典 平凡社∥編 平凡社 1997.4 (469-470)
- 真宗全書 [35] 妻木/直良∥編纂 蔵経書院 1914 (54)
- http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950296 (『真宗全書』第35巻(妻木直良/編 蔵経書院 1914))
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000233071