レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年05月30日
- 登録日時
- 2017/03/18 14:46
- 更新日時
- 2017/04/27 17:04
- 管理番号
- 2015-0009
- 質問
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解決
米沢英和女学校のメソジスト婦人宣教師イムホフに関する投石失明事件について事件が起きた日(28日か29日)および失明に至ったガラス片の由来(眼鏡かランプか)を知りたい。また、赤坂病院の医師が米沢に来て診察・治療をした事実が有ったか知りたい
- 回答
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当館所蔵資料をお調べしたところ、米澤新報(マイクロフィルム)のほか下記資料1~8等に関連する記載がありました。
1) 事件発生日については、
資料により、明治27年4月28日と記載ある資料と4月29日と記載ある資料とに分かれ、その記載の相違に関して確認できる資料はお探しできませんでした。
以下に資料ごとの記載を抜粋しお知らせします。
資料1「米澤郷土誌」 「四月廿二九日上杉神社夜祭の際」
資料2「米沢市史 近代編」
「四月二十八日、上杉神社の前夜祭の折」
資料3「米沢百年」
「四月二十八日、上杉神社祭前夜の(中略)伝道中の彼女に」
資料4「米沢英和学校」 「二十九日の夜」
資料5「米澤市史」 月日の記載はなし。
資料6「山形新聞ニュース百年史」 「四月二十八日」
資料8「興譲館世紀」 「四月二十八日上杉神社前夜祭の折」
「米沢新報」 月日の記載はなし。
2)失明に至らしめたガラス片の由来については、資料1~4で、ランプの破片であった旨が記載されています。
主な記述を下記に抜粋しお知らせします。
資料1「米澤郷土誌」P30~31
「ランプの硝子の破片が右眼に入り(後略)」
資料2「米沢市史 近代編」P474~477
「砕け散ったランプの破片が彼女の顔と右眼につきささり(後略)」
資料3「米沢百年」P22~23
「石はランプに当たり、その破片が彼女の右眼に突きささった」
資料4「米沢英和学校」P132~134
「ランプの火屋に使われているガラスの破片が目にはいったし(後略)」
なお、資料5「米澤市史」P794~795では、
「一片の礫が飛び来り、遂に其一眼を潰し了る。」とのみ記載されています。
また、資料6「山形新聞ニュース百年史」に、
この事件について、当時記事の掲載があった旨が記載されていますが、当館所蔵の「山形新聞マイクロフィルム」では明治27年分が欠号となっているため、記事の内容詳細を確認することはできませんでした。
なお、山形新聞は、資料7等によると、社名紙名の変遷があり、明治27年当時は「山形日報」とあります。
3) 治療にあたった医師に関しては、
「米沢新報」(第1号/明治27年5月8日付)に、
「米国公使官の訳官ドクトル、ホエトニー来り診す(後略)」とあるほかは、所蔵資料中に関連の記載はお探しできず、ホエトニー氏が赤坂病院の医師でもあったのか否かを示す記載は確認できませんでした。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 米澤郷土誌 石田 勘四郎編(K274.1/イシ)
- 米沢市史 近代編 米沢市史編さん委員会編(K274.1/ヨネ/4)
- 米沢百年 市制100周年記念誌 1889-1989 米沢市制百周年記念事業実行委員会編さん(K274.1/ヨネ)
- 米沢英和女学校/遠藤寛子作/小島直絵/(YZ913.8/エン)
- 米澤市史 米沢市編(K274.1/ヨネ)
- 山形新聞ニュース百年史/山形新聞社編(K209.6/ヤマ)
- 県民とともに120年/年表・山形新聞/年表・山形新聞120年編纂委員編(K070.2/ヤマ)
- 興譲館世紀/松野良寅編著(YK376.4/ヨネ)
- ※( )は自館の請求記号です
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000212247