レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016/10/14
- 登録日時
- 2016/12/22 00:30
- 更新日時
- 2016/12/22 00:30
- 管理番号
- 北方 16-0028
- 質問
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解決
『北東アジア古代文化の研究』(菊池 俊彦∥著 北海道大学図書刊行会 1995) p164~166にかけての記述によると、「コツガイ(骨嵬)」「クイ(苦夷)」「カイ(蝦夷)」は、アイヌ民族を指す呼称とのこと。さらに詳述されているところによると、「ギリャーク民族がアイヌ民族を指して呼ぶクギあるいはアムール河下流域のツングース系民族がアイヌ民族を呼ぶクイに比定される」とのこと。
以上のことを含め、「コツガイ(骨嵬)」「クイ(苦夷)」「カイ(蝦夷)」について、そのほかの資料ではどういった記述があるか調査している。
該当の記述がある資料を探してほしい。
なお、参考文献もあわせて紹介してほしい。
- 回答
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図書および雑誌については、次のとおり関連の記述がある。
・『古代蝦夷とアイヌ』(回答資料1)
p126~140「蝦夷名義考」 カイ説の根拠や苦夷の語原案のほか、アイノについての記述も若干あり。
・『北日本中世史の研究』(回答資料2)
p223~268「13~16世紀の東アジアとアイヌ民族」 骨嵬、クイ、カイなどの呼称について、考察した記述がある。
・『アイヌ史を見つめて』(回答資料3)
p105~110「アイヌ民族自称の変遷」 特にp108には、「骨嵬」や「クイ」「カイ」についての記述がある。
・『北方文化研究 通巻12号』(回答資料4)
p39~74「オホーツク文化の起源と周辺諸文化との関連」 特にp67では、「骨嵬の界とあるのは、既にアイヌ 民族が樺太の南部を占拠していた状況を指している」として、それについて詳細な記述があった。
・『アイヌ文化成立史』(回答資料5)
p301~302「オホーツク文化の終末」
「樺太のアイヌ民族は、元代には骨嵬、明代以降は苦兀、苦夷、庫野、庫頁、庫葉と記され、クイ、クギという 音を写したものである。」との記述があった。
論文については、「国立国会図書館サーチ」や「CiNii」で調査。 該当する内容の論文は少数で、図書および雑誌での掲載が確認できたので、そちらを紹介。
・『學苑 通巻701号』(回答資料6)
p119~150「クイ(骨嵬、蝦夷)
・ギレミ(吉里迷)の抗争とオホーツク文化の終焉」(大葉昇一著) 骨嵬、蝦夷と表記されたクイ(カイ)=アイヌについて検討、それらの呼称についての記述がある。
・『東アジアの民族的世界 境界地域における多文化的状況と相互認識』(回答資料7)
p125~146「骨嵬・苦兀・庫野 中国の文献に登場するアイヌの姿」(中村和之著)
「アイヌを指すという証拠を示すことができるのは、元代の骨嵬が初めである。」として、各時代の文献に登場するアイヌの姿について考察した記述がある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 7版)
- 参考資料
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- 1 古代蝦夷とアイヌ 金田一 京助∥著 工藤 雅樹∥編 平凡社 2004.6 ア.0/KO p126-140
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2 北日本中世史の研究 羽下徳彦∥編 吉川弘文館 1990.2 210.3/HA p223-268 -
3 アイヌ史を見つめて 平山 裕人∥著 北海道出版企画センター 1996.1 ア.2/HI p105-110 -
4 北方文化研究 通巻12号 北海道大学文学部附属北方文化研究施設 北海道大学文学部 1979.3 Z304 p39-74 -
5 アイヌ文化成立史 宇田川洋∥著 北海道出版企画センタ- 1988.10 ア.2/U/イ p301-302 -
6 學苑 / 昭和女子大学光葉会 [編] 通巻701号 昭和女子大学光葉会 昭和女子大学光葉会 1998.9 Z301 (一般資料)p119-150 -
7 東アジアの民族的世界 境界地域における多文化的状況と相互認識 佐々木/史郎?編 加藤/雄三?編 有志舎 2011.3 389.2/HI (一般資料)p125-146 -
8 北東アジア古代文化の研究 菊池 俊彦∥著 北海道大学図書刊行会 1995.2 210.2/KI 【事前調査資料】p164-166
- キーワード
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- コツガイ
- 骨嵬
- クイ
- 苦夷
- カイ
- 蝦夷
- アイヌ
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事項調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000204232