レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016/12/12
- 登録日時
- 2016/12/19 00:30
- 更新日時
- 2017/01/04 14:30
- 管理番号
- 1000000902
- 質問
-
解決
奥武山公園の歴史とその当時の周辺の状況などを知りたい。
- 回答
-
以下の資料を提供した。
①
『沖縄大百科事典 上 ア~ク』 (沖縄大百科事典刊行事務局編、 沖縄タイムス社、1983.5)
p369 「奥武山運動公園」の項の【歴史】に、公園のできた経緯と、「1901年(明治34)6月17日、市民公園として開設。それまで漫湖に浮かぶ小島だった奥武山が、明治橋によって両岸と結ばれたこともあり、その前年の5月10日の皇太子成婚を記念して計画された。」の記述と共に、県下中等学校陸上競技大会(1934年)の【写真】がある。
②
『沖縄事始め・世相史事典』 (山城 善三編著、佐久田 繁編著、月刊沖縄社、1983.12)
p253 「奥武山公園開き」の項に、公園開設の経緯と、「なお、当時は公園への橋がなく、渡地から風月楼まで渡し船で客を運んだ。・・・」の記述がある。
③
『県営公園 奥武山公園』 (沖縄県土木建築部都市計画・モノレール課、沖縄県土木建築部都市計画・モノレール課、[2013.3])
→ 「事業進捗状況」と「事業経緯」の項に、昭和31年3月の都市計画決定からの施設建設状況の記述がある。
④
『望郷沖縄-写真集- 第4巻 沖縄写真帳』 (州立ハワイ大学宝玲叢刊編纂委員会[ほか]監修、城間 得栄解説、本邦書籍、1981.2)
p47 「奥武山公園のオホバヒルギ」として、公園内のヒルギの【写真】がある。
⑤
『望郷沖縄-写真集- 第5巻 沖縄県人物風景写真集』 (州立ハワイ大学宝玲叢刊編纂委員会[ほか]監修、城間 得栄解説、本邦書籍、1981.2)
p12 「奥武山公園全景」として小禄方面から撮影した【写真】があり、「奥武山は那覇港内にある小島で市民ピクニックの好適地である。廣大な近代的グラウンドあり園内那覇築港の功労者奈良原繁男の銅像忠魂碑などが建っている。j明治三十四年大正天皇御成婚記念として開園。」とある。
p59 「奥武山公園前の水汲舟」として、奥武山公園前景の【写真】がある。
⑥『天然紀念物調査報告』 (中野 治房[編]、内務省、1921.4)
→ 奥武山公園の植物についての調査と、下記タイトルと共に【写真】の掲載がある。
第九圖版 「那覇奥武山公園遠望」
第十圖版 「奥武山公園西山ニ於ケル原始的森林ノ景觀」
⑦
『沖縄県人物風景写真帖』 (仲宗根 源和編、沖縄県人物風景写真帖刊行会、1933(昭和8).7)
→ ⑤の資料の原本。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 造園 (629 8版)
- 参考資料
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- 1 沖縄大百科事典 上 ア~ク 沖縄大百科事典刊行事務局∥編 沖縄タイムス社 1983.5 K03/O52/1 p369
- 2 沖縄事始め・世相史事典 山城 善三∥編著 佐久田 繁∥編著 月刊沖縄社 1983.12 K03/Y44 p253
- 3 県営公園 奥武山公園 沖縄県土木建築部都市計画・モノレール課 沖縄県土木建築部都市計画・モノレール課 [2013.3] K52/O52
- 4 望郷沖縄-写真集- 第4巻 沖縄写真帳 州立ハワイ大学宝玲叢刊編纂委員会[ほか]∥監修 城間 得栄∥解説 本邦書籍 1981.2 K299/B63/4 p47
- 5 望郷沖縄-写真集- 第5巻 沖縄県人物風景写真集 州立ハワイ大学宝玲叢刊編纂委員会[ほか]∥監修 城間 得栄∥解説 本邦書籍 1981.2 K299/B63/5 p12、59
- 6 天然紀念物調査報告 中野 治房∥[編] 内務省 1921.4 K47/N39 第9-10図版
- 7 沖縄県人物風景写真帖 仲宗根 源和∥編 沖縄県人物風景写真帖刊行会 1933(昭和8).7 K299/N42 p12、59
- キーワード
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- 奥武山運動公園
- 奥武山記念運動場
- 県立奥武山総合運動場
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000203574