レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年04月23日
- 登録日時
- 2016/07/09 11:47
- 更新日時
- 2016/07/09 11:47
- 管理番号
- 地-160001
- 質問
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解決
幕末から明治初年頃に、長州藩士が埋葬された横浜の官修墓地について書かれた資料を探している。
- 回答
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官修墓地には、横浜軍陣病院で治療の甲斐なく死亡した兵士や西南戦争で戦没した兵士・巡査が埋葬されています。
当館所蔵の下記の資料に載っています。
・「新史料となった官修墓地」『仙花堂医史往来』中西淳朗著・発行、神奈川県保険医協会編集、2001、p4-5 <K49.1/120>
・『横浜西区史』横浜西区史刊行委員会、1995 <K21.13/19>
p129-130「第二編第三章神奈川県の誕生 官修墓地に眠る兵士」、
p262-266「第三編第一章関東大震災と復興 久保山墓地」
・『神奈川県史料 第5巻 政治部4』神奈川県立図書館、1969、p10-12 <K27/19/5>
・「明治の墓 観光名所に、西区の官修墓地」『朝日新聞』横浜版1990年9月3日(月)29面 <K07/11>
- 回答プロセス
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①当館OPACで「官修墓地」と検索し、『仙花堂医史往来』(中西淳朗著・発行、神奈川県保険医協会編集、2001<K49.1/120>)に掲載された「新史料となった官修墓地」(p4-5)という論文を見つける。ここに、「一部は野毛の大聖院に葬られた」等の記述あり。
また、県内記事として、『朝日新聞』横浜版1990年9月3日29面掲載の「明治の墓 観光名所に、西区の官修墓地」という記事もヒット。
②野毛は横浜市西区なので、『横浜西区史』(横浜西区史刊行委員会、1995<K21.13/19>)を確認。P129-130「第二編第三章神奈川県の誕生 官修墓地に眠る兵士」、p262-266「第三編第一章関東大震災と復興 久保山墓地」に記述あり。
③②の記述より、大聖院から久保山墓地に改葬されたときの文書が『神奈川県史料 第5巻 政治部4』のp10-12(神奈川県立図書館、1969<K27/19/5>)に収載されていることがわかった。
④『横浜市史稿 仏寺編 復刻版』(横浜市役所編、臨川書店、1986。元版は1931年<K21.1/5B/4>)p166~169に、「大聖院(西戸部町)」の項あり。ただし、官修墓地に関する記述なし。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 国防.軍事 (390 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 埋葬
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000194498