レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016/2/28
- 登録日時
- 2016/03/29 00:30
- 更新日時
- 2024/03/29 00:32
- 提供館
- 金沢市図書館 (2310230)
- 管理番号
- 玉川-000368
- 質問
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解決
【銀行頭取の写真について】 吉田外茂(ヨシダトモ、昭和3年死去、竪町にあった銀行の頭取)の地元経済界での集合写真を探している。
- 回答
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まず吉田外茂がどこの銀行の頭取だったかを調べた。
石川県関係人物文献検索で見つけた『北陸人物名鑑』(118406107)p.107によると、吉田外茂は河北郡花園村才田の出身で、吉田銀行の頭取であったとのこと。
『石川県銀行誌』(11801951)p.184-185によると、吉田銀行は明治32年2月に金沢市森下町に吉田次太郎(才田村出身)によって設立され、昭和5年良川銀行と合併し金沢商業銀行となった。
『〔北陸銀行〕創業百年史』(109042800)p.492によると、吉田銀行は明治32年2月13日に吉田次太郎によって設立され、大正9年7月株式会社となった(初代頭取吉田外茂、ただし同頁掲載の新聞広告では6月1日開業と記されている)。
金沢商業銀行は昭和14年4月に中越銀行と合併し(同p.491)、中越銀行は昭和18年7月十二銀行他3行と合併し北陸銀行となった(同p.547-553)。
以上から、吉田外茂が遅くとも大正9年以降、吉田銀行の頭取を勤めていたことがわかったが、『石川県銀行誌』及び『創業百年史』に集合写真は掲載されていなかった。
次に、銀行頭取の立場から金沢商工会議所の議員に就任していないか確認したところ、『金沢商工会議所五十年史』(11916433)p.410及び『金沢商工会議所百年史』(11909598)p.643により、大正14年3月から金沢商工会議所の議員を勤めていたことがわかった。ただし、両資料とも集合写真なし。
花園村才田の出身という情報に基づき、『石川県河北郡花園村誌』(11917743)を確認したところ、p.241-242に吉田銀行創業者の吉田次太郎の経歴、p.233に一族と思われる吉田次郎の略歴(金沢石浦町吉田銀行出張所員)が掲載されていたが、顔写真等は見つからなかった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000190332