レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年00月00日
- 登録日時
- 2016/03/23 16:40
- 更新日時
- 2016/11/11 19:40
- 管理番号
- 市民2015-事3
- 質問
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世界遺産に登録された富岡製糸場は白石の片倉製糸と関係が
あると聞いたが、どんな関係なのか知りたい。
- 回答
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明治5年に官営の工場として操業を始めた富岡製糸場は、明治26年民営化され、三井財閥に払い下げとなり、その後明治35年に原合名会社へ譲渡された。
経営は順調に伸びていたが、昭和の大恐慌、満州事変などの国際情勢の変化等により、いくつかの工場閉鎖を余儀なくされた。この時、富岡製糸場を独立させ、その筆頭株主となったのが片倉製糸紡績株式会社である。
一方、片倉製糸紡績は明治6年に長野県の村で片倉市助が10人繰りの製糸を始め、これが順調に成長し、国内生産1位にまで上りつめた。官営の富岡製糸場が公売のつど参加したが落札できず、半世紀がかりでやっと手に入れた。昭和14年に「片倉製糸紡績株式会社富岡製糸場」となり、その後昭和18年には「片倉工業株式会社」と改称した。さらに、昭和20年に白石製糸場を開始した。
白石製糸場は、明治35年に刈田郡立製糸場として設立され、数度の経営者交替を経て片倉製糸に委ねられることとなった。
なお、白石工場では昭和45年まで生糸が製造されていたが、その後事業を転換した。また富岡製糸場は、化学繊維の普及などにより昭和62年に115年続いた歴史の幕を閉じた。
- 回答プロセス
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『富岡製糸場と絹産業遺産群』には富岡製糸場の設立とその背景、官営時代、民営化後、そして片倉製糸に合併されたことなどが載っていたが、「白石」がでてこなかった。そこで白石市史を調べると、「刈田郡立製糸場は、片倉製糸白石工場として一切の経営権を委譲するに至った」とあった。
片倉製糸白石工場が片倉工業に合併される以前に、片倉工業の前身である片倉製糸紡績が富岡製糸場を合併していた、とわかった。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『富岡製糸場と絹産業遺産群』 今井幹夫/編著 ベストセラーズ 2014年
- 『白石市史 2 特別史 上』 白石市史編さん委員/編 1972年
- 『企業名変遷要覧』 結城智里/編 日外アソシエーツ 2006年
- 『宮城県百科事典』 河北新報社/編 1982年
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000189737