レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年01月06日
- 登録日時
- 2015/04/14 13:48
- 更新日時
- 2015/07/14 14:54
- 管理番号
- 埼久-2015-011
- 質問
-
解決
中島敦晩年の作品の執筆順序について、木村一信が「弟子」-「名人伝」-「李陵」の順番であると推定したらしいが、この考証の出典を知りたい。
- 回答
-
当館で確認できる文献の中では、『中島敦論』(木村一信著 双文社 1986)に掲載されており、これを紹介した。
- 回答プロセス
-
自館目録を〈中島敦 & 木村一信 & 出版年-1984〉で検索する。
『日本現代文学とキリスト教 〔2〕』(武田寅雄編著 桜楓社 1974)
木村一信著「中島敦「悟浄歎異」の成立―パスカルの受容を一視点として」が収録されているが、質問事項に関する記述なし。
《国会図サーチ》(http://iss.ndl.go.jp/ 国会図 2015/1/6最終確認)を〈中島敦 & 木村一信 & 出版年-1984〉で検索する。いずれも自館未所蔵のため内容は未確認である。
木村一信著「中島敦「李陵」の世界 」(「日本文芸研究 23巻1号」p41-56 日本文学会 1971)
木村一信著「中島敦「虎狩」論--方法と主題 」(「熊本女子大学学術紀要 30号」p18-25 熊本女子大学 1978)
木村一信著「中島敦・その一斑 : 漱石との共通点をめぐって」(「国語国文研究と教育 8号」p1-6 熊本大学 1980)
木村一信著「中島敦「章魚木の下で」論--文学史的定位の基点」(「日本文学 26(8)」p13-23 日本文学協会 1977)
《CiNii Articles》(http://ci.nii.ac.jp/ 国立情報学研究所 2015/1/6最終確認)を〈木村一信〉で検索し、1984年以前の論文を確認する。《国会図サーチ》でヒットしていない文献は下記の通り。「『弟子』の世界」以外は自館未所蔵のため内容は未確認である。
木村一信著「「悟浄出世」〔中島敦〕の世界」(「日本文芸学 7号」p64-72 日本文芸学会 1972)
木村一信著「「阿部一族」の世界 一つの視点」(「日本文藝研究 25巻4号」p36-48 関西学院大学 1973)
木村一信著「「山月記」論」(「日本文学 24巻4号」p37-51 日本文学協会 1975)
木村一信著「「光をかかぐる人々」序説」(「日本近代文学 26号」p165-176 日本近代文学会 1979)
木村一信著「『弟子』の世界 : 愚直への共感と自己止揚」(「人文論究 22(4)」p20-38 関西学院大学 1973)
《関西学院大学リポジトリ》で公開されている。(http://hdl.handle.net/10236/5268 関西学院大学 2015/01/06最終確認)
p20「作品『弟子』は、昭和17年6月、作者中島敦の死の半年前に説稿されている。しかし、作品が発表されるのは、昭和18年2月『中央公論』においてであった。」とあるが、「名人伝」「李陵」の執筆時期等については、最晩年の作品であるとしか言及されていない。
《Google》を〈中島敦 & 執筆順〉で検索する。
木村東吉著「中島敦 『弟子』 の成立過程について」(http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/21303/20141016140655900128/kokubungakukou_120_25.pdf 広島大学 2015/01/06最終確認)
p25「木村一信氏や濱川勝彦氏が、作品の構成に関して三部構成説を提出され、作品構成に関する大枠の見方は定着したかに見える(3)。」
p35 註3 「木村一信『中島敦論』(双文社 昭62・2)「『弟子』論-「己が性情」への指向-」参照」とのこと。
『中島敦論』(木村一信著 双文社 1986)
p133 「『弟子』論」に「中島敦の『弟子』は、昭和十七年六月二十四日に脱稿された。」とあり。
p149 「『名人伝』論」に「中島敦晩年の佳品『名人伝』は、作者が生前にその掲載誌を手にすることのできた最後の作品である。(中略)昭和十七年十一月二十五日に印刷納本、同十二月一日に発行されている。」とあり。
p150 「『名人伝』は、中島の手による決定稿が活字になったものであり、その点、題名の決定と定稿化を成しえないまま遺された『李陵』とは異なっている。いまここで『李陵』を持ち出したのは、『名人伝』の成立が『李陵』執筆とあまり隔たっておらず、『名人伝』は中島の死の間近く頃に出来あがった作品と考えられるからである。」
p150-155 『名人伝』成立時期についての論考あり。
p168 「『李陵』論」に「『李陵』は、作者中島敦の浄書の手を経ずして草稿のまま世に遺された。昭和十八年七月、雑誌『文学界』に作品が発表されるのは、作者逝って八ヶ月のちのことである。『李陵』という作品の題名は作者自身の手によったものではない。」とあり。
巻末の初出一覧より、「『弟子』論」から「『李陵』論」までの初出は下記の通りである。
「『弟子』論」(『九州女学院短期大学学術紀要 創刊号』九州女学院短期大学 1975)
「『名人伝』論」(『方位 第2号』熊本近代文学研究会 1981)
「『李陵』論」(『日本文藝研究 第23巻第1・2号』関西学院大学日本文学会 1971)
- 事前調査事項
-
調査済資料 『中島敦 Spirit』(勝又浩編著 有精堂 1984)p144
- NDC
-
- 小説.物語 (913 9版)
- 参考資料
-
- 『中島敦論』(木村一信著 双文社 1986) , ISBN 4-88164-320-7
- キーワード
-
- 中島 敦(ナカジマ アツシ)
- 木村 一信(キムラ カズアキ)
- 日本文学
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 書誌的事項調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000170833