レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年2月15日
- 登録日時
- 2014/12/19 18:13
- 更新日時
- 2015/01/20 16:29
- 管理番号
- 新県図-01300
- 質問
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解決
長岡市にある朝日寺の住所、由来等及び、同寺に伝わる木曽義仲、巴御前の伝承について
- 回答
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以下の(1)~(3)の資料に朝日寺の住所、由来等及び、同寺に伝わる木曽義仲、巴御前の伝承について記述がありました。
(1)『新潟県寺院名鑑』(新潟県寺院名鑑企画編集委員会/編 新潟県寺院名鑑刊行会 1983)
p816に朝日寺の住所、由緒等について記載があります。
「朝日寺 ちょうにちじ (〒949-54 三島郡越路町大字朝日五三一番地 電話(〇二五八九)二‐二二七二)
宗派 曹洞宗
名称 醫王山 朝日寺
住職 二八世 永井孝道 曹洞宗教学部長 駒沢大学・愛知学院大学理事長 全国仏教会常務理事
本尊 十一面観世音菩薩
開山 樹山庭柏大和尚
開基 木曽義仲 巴御前
寺宝 熊野権現
由緒沿革 当寺は初め、木曽義仲が信濃に祈願所として建立、天台宗であったが、義仲討死の後、妻巴御前が一族をひきいて寺号山号をもって越後 に来り、長岡市富岡町に、更に三島郡越路町十楽寺等の地に歴徒し、現在地越路町大字朝日に再建した。(以下略)」
なお、越路町は、平成17年4月1日に長岡市に編入されたため、現在の住所は、〒949-5412 長岡市朝日531番地となっています。
(2)『三島郡誌』(中野城水/編 名著出版 1973)
p945「朝日寺 度々の火災で記録の徴すべきものない。只木曾義仲の妾巴が、義仲が戦敗れて後同行して信濃に帰り、天台宗の一寺を建立して義仲の冥福を祈つた。然も義仲全盛時代の朝日将軍の昔を偲んで朝日寺と名づけたといふ。これが抑々同寺の初めらしい。其後戦乱打続き度々転住し、遂に信濃を去つて越後に来り、三島富岡附近に庵を結んでゐた。應仁二年庭柏和尚請ふて来迎寺の地に再興し、同時に曹洞宗に改めた。」
p1016「巴ヶ岡(来迎寺村) 大字来迎寺の裏山俗に裏無峠と云ふ岡の北端の岡を巴ヶ岡と云ふ。巴御前がのがれて此地に来りて住んでゐたと傳ひられてゐる。今東麓に忠魂碑が立ってゐる。尚この岡に俳人染恵の辞世の石碑がある。」
(3)『越路町史』通史編 上巻(越路町/編・発行 2001)
p184「同寺(朝日寺)は、木曾義仲が信州に建てた祈願所だとも、彼に仕えた巴御前が戦に破れて信州に帰った後、朝日将軍と称された義仲の冥福を祈って建てた寺だともいわれる。始め天台宗で、巴ヶ越後に移るのに伴い朝日村に寺基をすえたというのである。したがって草水観音寺二世による開創は、天台宗から曹洞宗への改宗であった。」
なお、駅名の来迎寺は、旧村名の来迎寺村に由来するもので、この名前の寺は付近には存在しません。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 寺院.僧職 (185 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 寺院
- 新潟県
- 源義仲
- 巴御前
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000165103