レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2014/07/04 00:30
- 更新日時
- 2014/11/27 12:05
- 提供館
- 福井県文書館 (9000002)
- 管理番号
- 2010-004
- 質問
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解決
文久3年に坂本龍馬が勝海舟の命を受けて福井藩を訪れ、借入れた金額について、5000両説と1000両説があるが、それぞれの典拠は?
- 回答
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(1)5000両説
典拠は、大正元年に刊行された『維新土佐勤王史』という編纂史料といわれている(掲載箇所未確認)。
編纂者の瑞山会は、元志士が形成していた。
ちなみに、司馬遼太郎が『龍馬がゆく』のなかで、以下のように演出していることも5000両説が広まった要因と思われる。
「借りるのは、五千両?」
「いかにも、指一本欠けてもならん」
龍馬は右掌の指を五本ひろげた。
(2)1000両説
a.典拠1
文久3年5月とされる横井小楠から長谷部甚平・三岡八郎(由利公正)への書簡。
(『横井小楠』下巻 遺稿篇所収)
「勝拝借高」として「千両程奉願度念願と龍馬申出候」と書かれている。
この資料集には、資料写真も掲載されており、1000両説の有力な証拠となっている。
ただし、現在は原本の所在が明らかでない。
b.典拠2 [2014.11.27追記]
「風説書(竜次郎差出ス)」松平文庫(福井県立図書館保管、791(M32-22))
福井県文書館・図書館デジタルアーカイブ画像
http://www.archives.pref.fukui.jp/archive/image.do?iCnt=-87&id=320896&smode=1&mno=29
これは、福井藩の探索方を務めた山本竜次郎(関義臣)の記録。
この中に1864年(元治元)暮れに、勝海舟を訪れた際の報告が含まれている。勝は神戸の屋敷や大坂での借財の整理方法について触れ、その際、前年(文久3年)5月に龍馬が福井藩から借り出した海軍塾建設資金1000両の残金と考えられる500両について話が及んだ。
突然の江戸召喚で金銭的にも困っていた勝が「現在大坂町奉行に預けてある、昨年福井藩から借りた500両ばかりのうち、300両をあらためて拝借したい」というのに対して、山本は「この金については国許では最初から返済の当てはしていないはず」と答えたことを報告している。
龍馬が1000両を借り出した2か月後の文久3年7月には、龍馬らが大坂町奉行に500両を預けたことがわかっており(大坂町奉行から勝宛の手紙)、建設費約400両(「海舟日記」)などを差引いた500両が大坂町奉行へ預けられ、1864年暮れにそれがそのまま残っていたと考えられる。
参照 http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/08/2010exhb/2010kikakutenn.pdf
吉田健「文久三年の龍馬と福井藩」『福井県文書館研究紀要』第8号 2011-03
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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瑞山会 編 , 瑞山会. 維新土佐勤王史. 富山房, 1912.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000562321-00 -
山崎, 正董, 1872-1950 , 山崎正董 編著. 横井小楠 遺稿篇. 明治書院, 1938.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001450975-00 -
福井県文書館 編 , 福井県文書館. 福井藩士の記録 : 福井県文書館企画展示 : 未刊行知られざる幕末維新. 福井県文書館, 2010.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I051281260-00 -
吉田 健 , 吉田 健. 文久三年の龍馬と福井藩. 2011-03. 福井県文書館研究紀要 / 福井県文書館 編(8) p. 59~74
http://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I11089171-00
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瑞山会 編 , 瑞山会. 維新土佐勤王史. 富山房, 1912.
- キーワード
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- 坂本龍馬
- 勝海舟
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000155522