レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20110724
- 登録日時
- 2013/10/12 00:30
- 更新日時
- 2018/10/05 18:59
- 管理番号
- 広県図20110026
- 質問
-
未解決
ペリーが2回目に日本に来たときの階位は何であったか。
- 回答
-
「階位」は見付からなかったが,役職名について,次の資料に記述がある。
『黒船異変』加藤祐三/著,岩波書店,1988
p.54-56「ペリーの役職名」
(追記:2016年11月18日)
次の情報提供がありました。
嘉永六年の最初の来航に関するものですが、下記論文が公開されていました。
p.9にペリーの役職名に関する記述がありました。
ペリー来航と嘉永六年の対外意見 (1)
三浦 顕一郎
白鴎法學 16(1), 1-31, 2009-05
http://ci.nii.ac.jp/naid/110007344025
(追記:2016年11月25日,2018年10月5日修正)
新たに次の情報提供がありました。
一応「階位」を海軍の階級と考えまして、ご参考までに。
アメリカ海軍の情報については下記のHPにかなり詳しく出ております。
「Naval History and Heritage Command」
https://www.history.navy.mil/
そこで「Matthew Calbraith Perry」を検索すると
https://www.history.navy.mil/research/library/research-guides/z-files/zb-files/zb-files-p/perry-matthew-c.html
当時は現在の階級制度とは違っているようですが、階級としては1837.2.9 に「Captain」に昇進したのが最後です。直訳ですと「艦長」ですが現在の階級に当てはめると「大佐」が至当のようです。
さらに艦隊では各「Captain」の中から最先任の者が「Commodore」になります。これは「代将」と訳されますが、任務が終わり艦隊が解かれると、階級としては「Captain」にもどります。
HPよりペリーも日本遠征時1953年「Commodore」に任命されています。
当時アメリカ海軍にはこれ以上の位はありませんでした。ただし「Commodore」階級というより「司令官」という肩書きに近いようなので解釈は微妙と思います。
日本で書かれたものは「代将」としているようなので1853,1854年の来日時は「Captain」「大佐」とせず、「Commodore」「代将」で問題はないかと思います。
蛇足ですが 日本では海軍の将官の呼称を提督とし「admiral」に充てますが、当時のアメリカ海軍には「admiral」は誰もいませんでした。「ペリー提督」と表記するのは決して誤りではありませんが、後年制度が確立した後の「提督」の呼称と若干意味が違うことになります。
「代将」ついては適当な書誌がみつかりませんでしたので、wikipedia を参照しました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A3%E5%B0%86_(%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E6%B5%B7%E8%BB%8D)
- 回答プロセス
-
次の資料には,記載なし。
『国史大辞典 12』国史大辞典編集委員会/編,吉川弘文館,1991
p.507 ペリー
『横浜市史 第2巻』横浜市市史編集室/編,有隣堂,1959
p.90
『ペリー来航と横浜』横浜開港資料館/編集,横浜開港資料館,2004
p.24
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210)
- 参考資料
- キーワード
-
- ペリー提督
- 黒船
- 横浜
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000138382