レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/09/15
- 登録日時
- 2012/10/05 02:01
- 更新日時
- 2012/11/24 08:56
- 管理番号
- 横浜市中央1887
- 質問
-
解決
明治、大正期から根岸線の建設計画がどのように進められてきたか調べている。
横浜市中央図書館所蔵のマイクロフィルムで、明治36年の地図を見たところ、根岸線らしい路線の計画が描かれている。
また、大正11年の地図によると、現在と多少ルートは異なるが大船までの路線の計画が描かれている。
- 回答
-
次の資料をご紹介します。
1 『ハマ線物語 Vol.4』230クラブ新聞社 1994年
p.6「根岸線小史」根岸線の簡単な歴史が掲載されています。
ただし掲載している昭和30年代以降の話で明治、大正期についての記述はありません。
2 『鉄道ピクトリアル 2007年3月号』鉄道図書刊行会
p.30-「成長期の根岸線-磯子開業から全通まで」という特集があります。
「1964(昭和34)年5月19日」に開業とあり、計画段階は「桜大線」と呼ばれていたとあります。
開業当時の写真が多く掲載されています。計画当時については記載がありません。
3 『「地図」で探る横浜の鉄道』横浜都市発展記念館/編 , 岡田直/執筆
横浜都市発展記念館 2011年
p.58「幻となった桜木町-大船線」桜木町から大船までのルートの変更について説明があります。
京浜線電車を桜木町から大船方面へ延伸する計画は、明治末期には内定し、大正時代にルートが
新聞で報じられているとあります。
p.62「京浜線電車延伸線の予定ルート」の地図が掲載されています。
この地図は「5万分の1地形図「横浜」(部分を約95%に縮小大正11年)に加筆」と説明がありました。
4 『地理 昭和39年7月号~12月号』古今書院 第9巻第11号(1964年11月号)
p.103
「国鉄・根岸線の開通」(渡辺一夫)の記事が掲載されています。これは数回の試乗、駅関係者から
のききとり、開通当時の新聞記事(神奈川新聞)を参照して、まとめたものであるとあります。ここでは
根岸線の建設計画は1935年ころからあったと述べられており、明治、大正期についての記述はありません。
5 『根岸線工事記録』日本鉄道建設公団東京支社/編 日本鉄道建設公団東京支社 1974年
p.1-「第1節 根岸線の経緯」
「昭和31年2月24日第17回鉄道建設審議会の決議に基づき、昭和31年度から調査を開始すべき
新線として建議され」とあり、昭和30年代以降の建設計画、工事記録が詳細に掲載された資料です。
明治、大正期についての記述は確認できませんでした。
6 『市史研究横浜 第13号』横浜市市史編集室/編 横浜市 2001年
p.23-「横浜線着工経緯(一九三六~一九五七)-その建設意図をめぐって-」(小風秀雄)の論考
が掲載されています。
ここでは根岸線の建設は戦前の1936(昭和11)年12月の鉄道会議において決定されていたとあります。
また、桜木町・大船間電車線建設計画について「2、鉄道延伸構想」で詳細に述べられています。
ただし、昭和11年以降の話であり、明治、大正期の計画については述べられていません
7 『横浜市史 第三巻上』横浜市/編集 1961年
p.293-「第六節 鉄道の建設」根岸線の建設計画ついての記載は確認できませんでした。
8 『横浜市史 第四巻上』横浜市/編集 1965年
p.616-「第三節 鉄道の発展」
9 『横浜市史 第五巻中』横浜市 1976年
p.99-「第一章 鉄道の発展と陸上輸送の変化」に明治期以降の鉄道の発展について記載されています。
根岸線の建設計画についての記載は確認できませんでした。
10 『日本鉄道史 上篇・中篇・下篇』鉄道省 1921年
上記紹介した複数の資料で出典となっている資料です。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 鉄道運輸 (686 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000112192