レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年06月30日
- 登録日時
- 2012/08/22 18:52
- 更新日時
- 2012/12/08 14:29
- 管理番号
- 名古屋市鶴-2012-013
- 質問
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未解決
東山公園内の池は昔は源蔵池と呼ばれていたが、池の名称が上池(かみいけ)となったのはいつ頃か。
- 回答
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はっきりしたことは分かりませんでしたが、上池の名称は、『明治・昭和東海都市地図』によると昭和12(1937)年以前より使われていたようです。
- 回答プロセス
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(1)既に東山公園への問い合わせもなさっており、古い地図がみたいとご来館なさいました。まず、古い住宅地図を確認しました。千種区の住宅地図では、昭和34年が当館所蔵の最古ですが、既に「上池」となっていました。
(2)『明治・昭和東海都市地図』を確認しました。この資料は、東山公園の1891年、1937年、1953年を1万分の1の地形図で比較できるものです。1891年の地図には池の名称が記載されておらず、1937年は「上池」となっていました。
(3)次に、地形図を確認しました。「5万分の1地形図」の名古屋南部は明治33年発行から、「2万5千分の1地形図」の名古屋南部は大正12年から所蔵していますが、池の名称は記載されていませんでした。「旧1万分の1地形図」の東山は昭和14年発行は名称が記載されておらず、昭和31年発行は「上池」となっていました。
(4)江戸時代の村絵図を確認してみました。「54末森村」と「57名古屋御新田」に「源蔵池」で記載がありました。成立年月日は、「54末森村」が弘化3年7月、「57名古屋御新田」は不明でした。
(5)『東山動植物園とともに歩んだ60年 東山公園協会設立60周年』や『名古屋市東山動・植物園』などを見てみましたが、記載がありませんでした。
(6)千種区の棚を探してみました。『千種区の歴史』のp.154に「兼松源蔵が築造した池なので、それを記念してその名をつけた」とありますが、上池への名称変更については書かれていませんでした。p.158にも、「江戸時代灌漑のために造られたものである」とあるだけでした。
(7)『千種村物語』のp.180-182に源蔵池について、「名古屋新田頭・兼松源蔵が築造したもので、今の東山公園の上池のこと」とあるだけで、名称変更についてはやはり記述がありませんでした。
(8)『千種区史』p.95には、「上池をかって源蔵池と名付けた」とはありますが、いつ頃名称変更したかは書かれていませんでした。
(9)行楽地であることから、絵葉書になっている可能性があると思い、『名古屋の絵葉書集』を見てみました。白黒で、着物を着た人物や建物が写っている絵葉書がありましたが、残念ながら「上池」の表示でした。
- 事前調査事項
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東山動植物公園には問い合わせたが、不明とのことでした。
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 『名古屋市全住宅案内図帳 千種区 昭和34年版』 住宅協会/編 住宅協会 1959年 p.20
- 『明治・昭和東海都市地図』 清水靖夫/編集 柏書房 1996年 p.188-193
- 『5万分の1地形図 名古屋南部』
- 『2万5千分の1地形図 名古屋南部』
- 『尾張国町村絵図 名古屋市域編』 徳川黎明会/編 国書刊行会 1988年 「54末森村」「57名古屋御新田」
- 『東山動植物園とともに歩んだ60年 東山公園協会設立60周年』 東山公園協会 2009年
- 『名古屋市東山動・植物園』 名古屋市東山動物園 1967年
- 『千種区の歴史』 千種区婦人郷土史研究会/編 愛知県郷土資料刊行会 1981年 p.154,158
- 『千種村物語 名古屋東部の古道と街なみ』 小林元/著 小林元 1984年 p.180-182
- 『千種区史 区制施行五十周年記念』 千種区制施行50周年記念事業実行委員会/編集 千種区制施行50周年記念事業実行委員会 1987年 p.95,458
- 『名古屋の絵葉書集』 名古屋市鶴舞中央図書館/編成制作 名古屋市鶴舞中央図書館 1973年
- キーワード
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- 東山公園
- 東山動植物園
- 源蔵池
- 上池
- 地名-名古屋市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000110285