レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/3/15
- 登録日時
- 2011/08/24 02:00
- 更新日時
- 2011/08/25 16:50
- 管理番号
- 福参-0666
- 質問
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解決
聖一国師が博多で広めたと言われているうどん・まんじゅうなどについて、その背景やどのようにひろがったか、そして今どのように継承されているかなどの一連の流れを調べたい。
- 回答
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『聖一国師』 (聖一国師生誕800年記念事業実行委員会 2002 p.81-83)
聖一国師がうどん・そばや饅頭・羊羹を日本に伝えた概略がまとめられている。
饅頭について
『海路 通巻1号』(海鳥社 2004 p.109-115)
『博多余情 1960年8月号 第16巻第8号』(博多余情社 1960 p.37)
伝承の背景は、鎌倉時代の仁治2年(1241)宋から帰朝した聖一国師が、歓待してくれた茶店の店主、栗波吉左衛門にお礼に制法を教え、『御饅頭所』という看板を書いて与えたのが起源。後に吉左衛門の子孫が昭和に入って、吉左衛門の縁故に当たる「虎屋黒川」(東京 赤坂本店)に看板を売却したため、その後は虎屋饅頭として継承されている。
うどんについて
『麺、博多に興る』 田口俊英著 (『麺の世界』編集局 2009 p.17-23)
『福岡県の郷土料理』 楠喜久枝著 (同文書院 1984p.150-154)
聖一国師は宋から、水車を動力にした製麺・製粉の技術を持ち帰り、「大宋諸山図」に「水磨様」(現在は京都 東福寺に所蔵)という設計図を書き遺している。その技術が、国師の開山した承天寺(博多区)を中心に広まったのがうどんの起源とのこと。
また、うどんではないが、年の瀬に貧窮した町民に境内でそばを振る舞ったところ、翌年貿易船が入港して景気が回復したことから、「年越し蕎麦」の起源もここだとされており、麺文化を庶民に広めたエピソードとされている。
- 回答プロセス
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書誌データベース・人物文献索引で検索(該当資料あり) → インターネット(一部該当)
- 事前調査事項
- NDC
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- 衣食住の習俗 (383 8版)
- 参考資料
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- 1 聖一国師 聖一国師生誕800年記念事業実行委員会 2002.11 K185/262/シ p.81-83
- 2 海路【かいろ】 通巻1号 海鳥社 2004 M/KC/2672 p.109-115
- 3 博多余情 第16巻第8号 博多余情社 1960 M/KC/14 p.37
- 4 麺、博多に興る 田口/俊英?著 『麺の世界』編集局 2009.3 K383//メ p.17-23
- 1 麺の世界 通巻6号 『麺の世界』編集局 2005 M/KS/2907
- 2 麺の世界 通巻8号 『麺の世界』編集局 2005 M/KS/2907
- キーワード
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- 聖一国師 栗波吉左衛門 うどん まんじゅう
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 『聖一国師』では栗波吉左衛門を「栗波吉右衛門」と表記している。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 学生
- 登録番号
- 1000090341