レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年05月11日
- 登録日時
- 2011/07/29 11:59
- 更新日時
- 2011/09/08 13:49
- 管理番号
- 名古屋市鶴-2011-018
- 質問
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解決
「常磐女子裁縫学園」について知りたい。学校名は不確かだが、裁縫の専門学校で、中部大学第一高等学校の前身、戦前に松阪屋が設立したよう。
- 回答
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「常磐女子裁縫学園」という名称の学校は見つかりませんでしたが、松坂屋が戦前に設置した裁縫学校や中部大学第一高等学校の前身の校名に「常盤」とつくものがありました。
(1)松坂屋が戦前に設置した裁縫学校について
『松坂屋百年史』によると、1907年(明治40)に和裁裁縫の知識・技能要請を目的に名古屋市長島町に「いとう呉服店裁縫所」が設立され、1910年に七曲町に移転、1929年(昭和4年)に東区久屋町一丁目に移転して学校組織の「常盤裁縫塾」となりました。戦後は東区代官町へ移り「常盤女学院」と改称し、1977年(昭和52)には専修学校となりますが2007年(平成19)3月31日に閉校しています。
(2)中部大学第一高等学校(日進市)の前身の学校について
『学校法人中部大学七十年史』や『学校法人中部大学70年のあゆみ』によると、1939年(昭和14)に中区千早町に開校した「名古屋第一工学校」が1950年(昭和25)に「愛知常盤女子商業学校」と合併して「常盤高等学校」の校名で新制の高校として発足し、後に「名古屋第一工業高等学校」(昭和32年)→「名古屋第一高等学校」(昭和51年)→「中部大学第一高等学校」(平成15年)と改称しています。
- 回答プロセス
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当館OPACや郷土件名カードなどで「常盤女子裁縫学園」を検索してみましたが、該当するものは見つかりませんでした。そこで、「松坂屋」や「中部大学」に関する資料を調べてみると「常盤女学院」や「愛知常盤女子商業学校」という学校が名古屋にあったことがわかりました。また、戦前の電話帳などから名古屋に「常盤裁縫塾」(東区久屋町)や「愛知常盤女学校」(西区押切町)があったことがわかりましたが、「愛知常盤女学校」の詳細がわかる資料は見つけられませんでした。なお、『名古屋市教育概要 昭和13年度』の私立学校表によると「西区押切町」に「愛知常盤女学校」という学校があり、その創立年は「大正4年」と書かれていますが、「愛知常盤女子商業学校」との関係については確認できませんでした。
- 事前調査事項
- NDC
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- 教育史.事情 (372 9版)
- 参考資料
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- 『松阪屋百年史』 松坂屋 2010年 p.36-37
- 『学校法人中部大学七十年史 主に最近十年の歩み』 中部大学 2009年 p.42-45,962,965
- 『学校法人中部大学70年のあゆみ』 中部大学 2009年 p.11,80-81
- 『名古屋職業別電話帳 昭和11年度版』 逓友協会/編 逓友協会 1936年 p.9
- 『大名古屋便覧 汎太平洋平和博覧会記念』 江崎浮山/編 大名古屋便覧発行所 1937年 p.165-166
- 『名古屋市教育概要 昭和13年度』 名古屋市教育部/編 名古屋市 1939年 p.225
- キーワード
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- 学校―名古屋市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000089342