レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/6/8
- 登録日時
- 2011/06/08 11:50
- 更新日時
- 2015/02/25 10:57
- 管理番号
- 愛知県図-03064
- 質問
-
解決
明治維新後、版籍奉還があり「士族」という身分ができた。この士族は名古屋藩の場合、何石以上の者がなれたのか。
- 回答
-
・【資料1】の「士族」によると、「一門以下平士ニ至ル迄總テ士族ト可稱事」とし、士族身分が定められたが、士族と卒の区別は不明確であったため、刑部省が「士卒之区別ハ禄高ニ応シ被定候儀哉」との伺いに対し「士卒之区別ハ元身分席以上の者士族、席以下ハ卒ト相定候」と士族の基準を新政府が示しており、禄高により士族身分が与えられたわけではない。
・明治2年6月25日行政官達576号(『法令全書』 第2巻」)に基づき、名古屋藩でも職制改革、藩士の階級、家禄改正が行われ、士族の身分が定められた。【資料2】では、版籍奉還後の名古屋藩時代に「藩士たちを、拝謁以上の士族、代々徒格の准士族、譜代席の一等卒族、それ以下の二等卒族の四階層に分けた」とあり、拝謁以上を士族としている。【資料3】では「同年(明治2)9月、徒格以上の輩を士族とし、徒格の輩を準士族とし、譜代席を一等卒族とし、同心以下中間までを二等卒族とした」とあり、徒士格以上を士族としている。
・【資料3】【資料4】によると明治2年11月の禄制改革により、士族の家禄からの削減が行われた際に、百石未満五十石以上の士族は五十俵としているのが士族の最低禄高となっている。
- 回答プロセス
-
【資料1】に「士族」についての記述あり。士族の基準については新政府から指示が出されたが各藩により対応が異なるため、地域資料を調査する。資料としては【資料2】~【資料4】に士族身分についての記述がある。また、当時の職制・禄制改革に関する公文書として、「職制等之一巻 明治二年」(「名古屋藩庁文書」)等が愛知県公文書館に所蔵されていることを確認。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210)
- 中部地方 (215)
- 参考資料
-
-
資料1 国史大辞典編集委員会 編. 国史大辞典 第6巻 (こまーしと). 吉川弘文館, 1985. p823
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001769026-00 , ISBN 4642005064 (1109730498) -
資料2 新修名古屋市史編集委員会 編 , 名古屋市. 新修名古屋市史 第4巻. 名古屋市, 1999. p862
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002818450-00 (1107758883) -
資料3 愛知県 , 愛知県 編. 愛知県史 第三巻. 愛知県, 1939. p51-54
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002166420-00 (1108683473) -
資料4 名古屋市役所 著 , 名古屋市. 名古屋市史 政治編第3. 愛知県郷土資料刊行会, 1980. p763
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I051910657-00 (1103178624)
-
資料1 国史大辞典編集委員会 編. 国史大辞典 第6巻 (こまーしと). 吉川弘文館, 1985. p823
- キーワード
-
- 名古屋藩
- 禄制改革
- 士族
- 版籍奉還
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000087172