レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010/06/16
- 登録日時
- 2011/03/22 02:13
- 更新日時
- 2012/11/15 09:43
- 管理番号
- 埼浦-2010-066
- 質問
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未解決
「太極砲」の写真が掲載されている紙媒体の資料を見たい。
- 回答
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写真が掲載されている資料は見つからなかったが、『水戸市史 中巻3』に「斉昭筆「太極」砲の設計図」と、天保年間の大砲鋳造に関する詳細な記述のあった資料を紹介した。 備考欄に掲載資料について追記あり。
『水戸市史 中巻3』(水戸市史編さん委員会編 水戸 1976)
p229-233「武器弾薬の製造と輸入」の項あり。天保時代の大砲鋳造についての詳細な記述あり。
p231「斉昭筆「太極」砲の設計図」あり。
p232「(寺院の仏像・釣鐘を徴収して)神崎鋳造所で製造されたのが、口径1尺2寸の「太極」砲以下75挺の大砲であった。それらの砲には、それぞれ斉昭が命名自筆した銘が鋳刻されたが、「太極」以外の74門は、のち嘉永6年(略)幕府に献上され」との記述あり。
『水戸市史 中巻4』(水戸市史編さん委員会編 水戸 1982)
p644「反射炉の設立」の項に、「嘉永6年に幕府へ74門の同砲を献上すると、水戸藩自身で大砲の不足を来した」の記述あり。ただしこれ以降は嘉永年間以降の鉄製の大砲鋳造に関しての記述となっている。
『茨城県史 近世編』(茨城県 1985)
p554-556 「武備の充実」の項あり。(「水戸藩の天保改革」の章の一部)
海岸への砲台の建設・大砲や弾薬製造に力を入れたとの記述あり。
p556 「洋式砲術と銃陣とをもとに太極陣という新しい銃陣を創案した。」との記述あり。
『茨城県 郷土史事典 8』(佐藤次男編著 昌平社 1982)
p122-123「大砲に化けた仏像と釣鐘」の項あり。
水戸藩の天保の改革の大きな目標としての海防、軍備の充実についての記述あり。
斉昭は特に大砲の鋳造を急務と考え、天保七年ころ小さいものから製造をはじめ、炉をつくり巨砲は天保13年に完成した。これを数多く作るため領内寺院の仏像や釣鐘を鋳つぶした。
また、下記のウェブサイトで「太極砲」の写真を見ることができる。
常盤神社(水戸市) 「大砲 太極」解説と写真あり。
(http://komonsan.jp/tokiwajinja-keidai/post_35.html 2010/06/16最終確認)
- 回答プロセス
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《Google》を〈大砲 太極砲〉で検索するといくつか写真や簡単な解説の載ったサイトあり。
常盤神社(水戸市)
「大砲 太極」解説と写真あり。水戸藩徳川斉昭が天保13年から翌年にかけて型式の違う75門の各種大砲を鋳造させたと記載あり。
(http://komonsan.jp/tokiwajinja-keidai/post_35.html 2010/06/16最終確認)
その他調査済み資料(いずれも該当なし)
『国史大辞典』(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館)〈火砲〉〈徳川斉昭〉の項。
『武器と防具 幕末編』(幕末軍事史研究会著 新紀元社 2008)
『中世・近世の鋳鉄品』(中野俊雄著 中野俊雄 2007)
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
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- 『水戸市史 中巻3』(水戸市史編さん委員会編 水戸 1976)
- 『茨城県史 近世編』(茨城県 1985)
- キーワード
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- 大砲-茨城県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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Googleブックスでのフレーズ検索 〈太極砲〉検索結果をもとに、太極砲の写真が掲載された資料が見つかったとの、情報提供あり。 (2012/11/15 最終確認)
『画報日本近代の歴史1 揺れ動く幕藩体制』(三省堂 1979)p92
『日本史探訪 11』(角川書店 1974)p155
『茨城県の歴史 県史シリーズ 8』( 瀬谷義彦, 豊崎卓著 山川出版社 1973) p167
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000082477