レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2006/01/28 13:32
- 更新日時
- 2019/03/08 15:03
- 管理番号
- 宮崎県立般43
- 質問
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解決
昔あったという江平池について知りたい。
- 回答
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「江平池は東西二つがあって記録によれば、江平東池は今からおよそ二百四十四年前の延享四年、当時の上別府村から藩主の内藤政樹へ用水ため池と報告されている。(中略)当時でもこの東池はいつ設けられたか分からないほど、古い用水ため池だったようだ。」と『宮崎市街・記憶と再生』(小野和道/著)(M219642/0036)のP56-63に記載あり。江平東池は昭和5年~7年に埋め立てられ、残った西池には昭和25,6年頃の一時期貸しボートを浮かべたりしていたが、昭和30年頃からこの西池も埋め立てられ始めたとしている。
「藩政時代前期頃には池というよりは沼地に近い状態であったと思われる江平池は同時代中期に築造工事を経て溜池へと変身した。」と『江平町郷土誌』(河野敏郎・田代学/編)(M219642/0057)のP213-221に記載あり。
『地図からみた宮崎市街成立史』(田代学/著)(M書庫219642/44)には著者による大正4年宮崎市街図北西部の模写があり、江平東池、江平西池を確認することができる。(p269)
『大日本職業別明細図之内信用案内 宮崎県』にも附属小学校の近くに上記と同様の池を確認することができる。
『目で見る宮崎・日南・串間の100年』(甲斐亮典/監修 郷土出版社 1995年)(M書庫219600/93-ミヤザキ)には蓮の葉の浮かぶ江平池に入り遊ぶ子どもたちの姿の写真がある。(p124)
『消えた赤江川 大淀川界隈新風土記』(田代学/著 平成7年)(M書庫219642/42)には江平東池と江平西池の歴史について記述がある。(p81-89)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 九州地方 (219)
- 参考資料
- キーワード
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- 江平池
- ため池
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000027231