レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2004年03月
- 登録日時
- 2005/12/08 13:23
- 更新日時
- 2006/02/05 10:19
- 管理番号
- 県立長野-04-013
- 質問
-
解決
歌枕として有名な「姨捨山(おばすてやま)」を地形図で探したが見つからない。現在はどのような地名になっているのか
- 回答
-
冠着山(かむりきやま)であるとする説が有力である。『角川日本地名大辞典20 長野県』(「角川地名大辞典」編纂委員会編 角川書店1990)〔N293/18〕367pには、“姥捨山の位置については田毎の月で名高いJR篠ノ井線姨捨駅(更埴市)付近とするなどの異説があるが、平安期の古典の記述は現在の冠着山を指しているとみるのが有力”とある。一方、『長野県の地名』(下中邦彦編 平凡社1979)〔N290.3/54〕769p「姨捨山」の項では“姨捨山の位置・名称については種々あって一定しない”とし、また“和歌や物語からみて、現在の冠着山をさし、月の名所として上流貴族の間で有名であった”とある。
- 回答プロセス
-
① 『長野県の地名』(前掲)をみると「姨捨山」の項に“名称の初見は「古今和歌集」で、一七雑上に 我心なぐさめかねつ更科やをばすて山にてる月を見て 読みびとしらずとある”として『古今和歌集』の成立期にあたる平安時代にはすでに山名が知られていたことがわかる。また冠着山の項に“名称の起源は「今昔物語集」の「信濃国姨母捨山語」の末尾に、「然シテ其ノ山ヲバ其ヨリナム姨母棄山ト云ケル。(中略)其ノ前ニハ冠山トゾ云ケル、冠ノ巾子ニ似タリケルトゾ語リ伝ヘタルトヤ”とあり、『今昔物語集』には冠着山が姨捨山と同じ山で、古くは冠山と呼ばれていたという記述がある。『角川日本地名大辞典20 長野県』(前掲)の記述も同様。
② 『姨捨山』(西沢茂二郎著 信濃路1972)〔N215/35〕では、古典にみえる姨捨山の記述が上げられており、冠着山に言及して“この呼び名は古い文書には見当たらない。即ち冠山と用いられており、冠着山は地方名であったと思われる。(中略)江戸時代の初期頃から、田毎の月と共に盛んに宣伝された「姨捨山十三景」というものの一に冠着山の名が見え”とある。
③ 『姨捨の文学と伝説』(更埴市立図書館編 更埴市教育委員会1991)〔N902/168〕62pには、「位置の諸説」という項があり、平安時代には、『大和物語』では「更科山(更級郡地域全体の山)」、『顕註(けんちゅう)密(みつ)勘(かん)』では「冠山」、『俊秘抄』では「冠山」、『古今余材抄』では「冠着山」であるという記述がみえると、各箇所を引用している。また元禄年間には「姨捨十三景」の影響で長楽寺周辺が姨捨山と呼ばれるようになったとある。明治期のこととして、姨捨山が麻績のことであるとする麻績説と、冠着山であるとする説があったと記しており、麻績説として、歌川広重の「姨捨山の図」は冠着山から昇る月を麻績の里から見た図であり、また姨捨伝説を最初に定着させた『大和物語』にでてくる寺は坂井村の安養寺であるという、豊城豊雄の『姨捨山所在考』という資料をあげている。一方塚田小右衛門雅丈が明治22年の『長野新聞』に「実ノ姨捨山」を書き、本来の姨捨山は冠着山であると論じたとある。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本 (291)
- 参考資料
- キーワード
-
- 姨捨山
- 冠着山
- 長野県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 『なんでもきいてみよう』(県立長野図書館 平成16 第36集)収録レファレンス
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000025513