レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年02月18日
- 登録日時
- 2011/07/21 16:39
- 更新日時
- 2011/12/14 13:44
- 管理番号
- 埼浦-2011-023
- 質問
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解決
熊谷の秘匿飛行場について知りたい。
- 回答
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『埼玉県の歴史(県史シリーズ11)』(小野文雄著 山川出版社 1971)
p246「軍事施設の分布図」
県内7つの飛行場(児玉、熊谷、小原、川田谷、松山、坂戸、高萩)の記載あり。
熊谷飛行場は、熊谷市三尻にあった。
小原飛行場は、旧江南町(現熊谷市)にあった。
『江南町史 通史編 下』(江南町 2004)
p269-272「小原飛行場の建設」
「日本の敗色の濃くなった十九年には御正・小原両村の地内に熊谷陸軍飛行学校の補助として小原陸軍飛行場を作ることになり、その滑走路と誘導路構築工事が始まった。」とあり。
p271「小原陸軍飛行場復元模式図」あり。
この小原飛行場が「秘匿飛行場」にあたるかについては、資料を発見できず。
なお、熊谷市の三尻には昭和10年に陸軍飛行学校が開校され、跡地は現在航空自衛隊熊谷基地(現住所:熊谷市拾六間839)、熊谷工業団地となっている。
『新編 埼玉県史 通史編6』(埼玉県 1989)
p893-895「航空施設と浦和連隊区」
熊谷陸軍飛行学校の記述あり。
「昭和10年(1935)7月、操縦教育および少年飛行兵教育をおこなう熊谷陸軍飛行学校が大里郡三尻村(熊谷市)に設置された~」
『新編 埼玉県史 資料編20』(埼玉県 1987)
p496-500「埼玉県下の陸軍飛行場一覧(昭和18年4月)」
三尻陸軍飛行場 大里郡三尻村(昭和18年4月調)あり。
『戦前戦中戦後の熊谷の様子』(熊谷市立図書館 1996)
p164「熊谷空襲四十周年⑥」熊谷陸軍飛行学校の記述あり。
「同十七年には特攻基地を併設するなど規模をひろげていった。しかし、昭和二十年二月、本土決戦が近づくと、飛行学校は飛行部隊として編成換えが行われ、教育隊を主体とする第六練習飛行隊となった。」とあり。
『関東飛行場の地歴図集 東京100km圏の戦時飛行場』(山之内光治作図編集 2009)
16図 「熊谷陸軍飛行学校」飛行場所在地の案内図あり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
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- 『埼玉県の歴史(県史シリーズ11)』(小野文雄著 山川出版社 1971)
- キーワード
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- 飛行場-熊谷市-埼玉県
- 日本史-第二次世界大戦
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000088898