レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/06/07
- 登録日時
- 2016/10/29 00:30
- 更新日時
- 2016/11/01 11:30
- 管理番号
- 0000001387
- 質問
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解決
中島の「深浦の神様」が船頭さんと一緒に行ったという富山に行ったという民話があるが、富山のどこへいったのかを知りたい。深浦の神様は白山神社で、「能登の神様」と呼ばれているらしい。
- 回答
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(1)当館所蔵の、富山・越中の昔話・民話の本をざっと確認しましたが、「深浦の神様」や「能登の神様」を扱った話はみつかりませんでした。
(2)『富山県神社誌』は、凡例によると「宗教法人法に基づき、富山県知事の承認を得た県内神社の総べてを収載した」とあり、各神社の簡単な由緒を掲載した資料です。目次によると「白山社」「白山宮」など白山のつく神社は複数あり、これらをすべて確認しましたが、能登の深浦から来たという記述のある神社は見つかりませんでした。
(3)『越中における中世信仰史の展開 増補』p34によりますと、「立山を仰ぐ越中においえても、『富山県神社祭神御来歴』によると、総計一五〇社の白山神社が鎮座している。」「五来重氏によれば、日本の修験道史においては、熊野中心の時代と白山中心の時代があったといわれる」とあります。
また、『白山・立山と北陸修験道』p34によると「白山を開いたという泰澄の伝承も海民の白山信仰にかかわるものである」とあり、「泰澄が船渡(船頭)の子であるという伝承」が近世の書に散見されるそうです。こうしたことから、越中の白山信仰のひろがりの歴史の中で生まれた民話であることがと推定されます。
(4)越中の白山総社は、現在は富山市中野新町にありますが、もとは新川郡太田の保布市村に勧請されたとされています(『富山県神社誌』p110)。布市村は、飛騨街道が通る神通川東部の要衝であったとされています(『富山県の地名』p511)。慶長5年(1600)土方雄久は越中布市に1万石を拝領したのち、慶長11年に能登の62ヶ村と交換になりますが、この能登62ヶ村に深浦村が入っています(『富山県の地名』p511)。
以上、「深浦の神様」に関する資料は、当館所蔵資料からは見つけられませんでした。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 神道 (17 9版)
- 参考資料
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- 1 富山県神社誌 富山県神社庁∥編 富山県神社庁 1983.11 175/22
- 2 越中における中世信仰史の展開 増補 久保/尚文?著 桂書房 1991.5 180.2/222
- 3 白山・立山と北陸修験道 高瀬 重雄∥編 名著出版 1977.9 K163/1
- 4 日本歴史地名大系 16 平凡社 1994.7 291.03/159/16
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000198869