レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年09月09日
- 登録日時
- 2010/10/23 10:58
- 更新日時
- 2011/01/28 08:53
- 管理番号
- 名古屋市鶴-2010-033
- 質問
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解決
愛栄座のあった場所と、いつからいつまであったのかを知りたい。
- 回答
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愛栄座は明治10年8月から明治15年中頃まで末広町の若宮境内にありました。現在の中区栄3丁目35です。
- 回答プロセス
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(1)まず『近代歌舞伎年表 名古屋篇 第1巻』を確認すると各年の初めに「興行一覧表」があり、「愛栄座」については明治10年8月22日から明治14年9月2日(推定)までの興行の記録がありました。同書には新聞記事などからの劇場に関する記録も年表にまとめられており、これらによると明治10年8月に「愛栄座」(「末広座」から改称)が開場しています。そして、明治15年4月から6月の“愛栄座改修工事の噂”の記事に続いて、同年7月には末広座建設予定地の空地での“三府合併大角力”、同年10月には「末広町若宮境内」に“末広座の新開場”の記事がありました。
(2)次に『新修名古屋市史 第10巻 年表・索引』を調べてみると、索引には「愛栄座」はありませんでしたが、年表の中に“(明治5年4月)若宮八幡社の芝居場を末広座と改称”、“(明治10年)末広座、愛栄座と改称”とありました。また、同書の索引の「末広座」の項目から『新修名古屋市史 第6巻』p.79に末広座の写真が掲載されており、出典が『写真に見る明治の名古屋』であることがわかりました。『写真に見る明治の名古屋』を確認したところ、“末広座(中区3丁目35若宮境内) 江戸時代から若宮境内芝居として知られたたった一つの老舗。明治5年4月、末広座と改称。明治一杯栄えた”とありました。
(3)その他の劇場に関する資料を調べてみると、『盛り場』に「大正末の大須周辺、芝居劇場と映画館」があり、大正15年当時の末広座や若宮八幡神社を含む略図がありました。また、同書には「明治以降の大須周辺の芝居小屋建設と映画館への移行」の表があり、その参考資料が『名古屋女子大学所蔵芝居番付資料目録』とされていました。『名古屋女子大学所蔵芝居番付資料目録』には「名古屋・熱田の劇場変遷表(近世後期~昭和前期)」があり、愛栄座は江戸時代の「若宮芝居」を発祥として末広座(明治5年)→愛栄座(明治10年)→末広座(明治15年)→松竹直営映画館と変遷していることがわかりました。
- 事前調査事項
- NDC
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- 劇場.演出.演技 (771 9版)
- 参考資料
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- 『近代歌舞伎年表 名古屋篇 第1巻』 国立劇場近代歌舞伎年表編纂室/編 八木書店 2007年 p.5,228,360,370,376
- 『新修名古屋市史 第10巻 年表・索引』 新修名古屋市史編集委員会/編集 名古屋市 2001年 p.111,115
- 『新修名古屋市史 第6巻』 新修名古屋市史編集委員会/編集 名古屋市 2000年 p.79(末広座の写真あり)
- 『写真に見る明治の名古屋』 名古屋市教育委員会/編 名古屋市教育委員会 1969年 p.99(末広座の写真あり)
- 『名古屋市史 風俗編』 名古屋市役所/[編]著 名古屋市 1915年 p.354
- 『地方芝居・地芝居研究 名古屋とその周辺』 安田徳子/著 おうふう 2009年 p.164,179,197
- 『芸所名古屋余噺』 池永三郎/著 池永三郎 1976年 p.11
- 『芸処名古屋を訪ねて』 安田文吉/著 名古屋北ライオンズクラブ 2009年 p.88
- 「少年時に観た歌舞伎の追憶」 『逍遥選集 第12巻』 坪内逍遥/著 第一書房 1977年
- 『盛り場-祭り・見世物・大道芸- 特別展』 名古屋市博物館/編集 名古屋市博物館 2002年 p.76
- 『名古屋女子大学所蔵芝居番付資料目録』 名古屋女子大学図書館/編集 名古屋女子大学図書館 1998年 p.20
- 『なごやの町名』 名古屋市計画局/[編] 名古屋市計画局 1992年
- キーワード
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- 劇場
- 愛栄座
- 末広座
- 若宮八幡社
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000072691