カステラの伝来(『カステラの科学』pp.1-6, 仮屋園璋著/光琳/2004)
カステラが長崎にポルトガル人によって伝えられたのは,16世紀後半の織田信長,豊臣秀吉の安土桃山時代の頃であった。日本とポルトガルとの交流のはじまりは,種子島にポルトガル人が漂着し鉄砲が伝来した天文12年(1543年)で、約460年前に遡る(日本史料)。天文18年(1549年,16世紀中頃)にはフランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier, スペイン生れ、イエズス会創立者の一人。)が鹿児島に宣教のため来日,南蛮菓子もこの時日本に伝えられたという。
翌天文19年(1550年)の7月に平戸へ来て,船長ダ・ガマに会った。ザビエルは鹿児島にキリスト教を伝え,そのキリスト教伝来とともに南蛮菓子〔ボウル(ボーロ), コンペイトウ,カステラ,アルヘル(アルヘイトウ,有平糖),ヒリョウズ(飛竜頭,がんもどきとなる),ビスカウト(ビスケット),パン等〕もこの時,日本に伝えられ,フランシスコ教会の神父達によって製法が伝えられたという。なお,コンペイトウ(金平糖),アルヘル,ボーロなどの南蛮菓子はカステラとは異なり、形を伴った渡来物である。
カステラの語源はCastilla〔カスティーリャ(スペイン語),メキシコ流でカスティージャ〕といケ文字が当てられるが,これは今のスペイン国の北部および中央部を占めた一古王国の名称Castilla(地名---カスティーリャ,英語でCastile)に由来する。なお,英語で城はCastleという。カステラの名称の由来は1つには、この一古王国Castllaのポルトガル語呼称であるCastillaが語源となっている。
ただし、Castilla(カステラ)という菓子は本来ポルトガルにはない。今日のスペイン領内の一部であった王国カスティーリャで生まれた食物であったことから名づけられたという。カステラはこのカスティーリャの地名に由来しているということが最有力説となっている。なお、南蛮菓子にはカスティーリャ渡来のコンペイトウ、ボーロ等もあり、いずれもこのカスティーリャ王国の菓子であり、何故カステラだけがこの名を持つようになったかについては異論もある。
しかし一方思うに次の諸説があるので述べておきたい。1つにはカステラがヨーロッパの城の形に似ていたことから、そのスペイン語のキャスティーヨ(Castillo カスティジヨ、カステロー、城)から由来しているともいわれる。そのほか、卵の卵白を城(カステロー、カステル)のように高く泡立てることから、あるいは城のように高くなれと掛声をかけながら混ぜることからなどの諸説があるが定かではい。
卵白を攪拌し泡立ってくると、持あげた時卵白が盛り上がり、ポルトガルでそれをカステロー、すなわち、城のようだというようである。カステラという名前はポルトガル、スペイン、オランダ、英語などの各語にはない。なお、史実によるとポルトガルは初めカスティーリャに属していたが、1139年に独立、王国となって1251年リスボンを都と定めた。15世紀後半には統一国家を完成した。
※参考までに長崎巾内の老舗の,メーカー肘業は次のとおりである。
福砂屋-寛永元年(1624年,江戸初期の頃),ポルトガル人の直伝を受け今日に至る。
松翁軒-天和元年(1681年,江戸時代)。文明堂-明治33年(1900年)。
京都では,天和2年(1682年),名古屋ではそれより古く正保元年(1644年)にカステラの記録がみられている(カステラが国内に流布しはじめる)。
そのほか,平戸をはじめ本州を土とする全国各地に伝統の味を待ったカステラの老舗が次のように軒を並べている。平戸(つたや総本店):文亀2年(1502年)――カスドース。東京(千鳥屋):寛永7年(1630年)。岐阜(長崎屋総本店):享保7年(1722年)―――卵を使わず,麹味噌でふくらませた「卵入らずかすてゑら」。など。
カステラの製法(『カステラの科学』pp.109-113, 仮屋園璋著/光琳/2004)
カステラの製造法には別立(べつだて)法と共立(ともだて)法の二法がある。
前者を分離立て方式、後者を共泡立て方式とも呼ぶ。卵の使用法でこのように分けている。
別立法では,鶏卵をまず卵白と卵黄に分け、卵白を泡立てる。これと卵黄に砂糖、水飴等および白双目を加えて良く混ぜ合わせたものとを均一に昆合、攪拌し、さらに最後に小麦の薄力粉を加えて混合、攪拌する。小麦粉の攪拌はむらなく均一になるようにするが、グルテンが立ち過ぎ泡立ちが消えることがないように注意して、攪拌し過ぎないようbatter生地を調製する。手混ぜの場合、要領は小麦粉を手早くヘラなどで切るようにして混ぜ、粉っぽさがなくなるようにする。決して練らないこと、混ぜ過ぎると目のつまった硬いスポンジ組織になる。混ぜ足りない時は、キメが粗くなり、ダマが残ったりする。別立法では、あるいはまた泡立てた卵白に卵黄、次に砂糖、水飴等を順次加えて混合、攪拌したのち、同じく最後に薄力粉を加えて攪拌し、混ぜ過ぎないようにして均一に生地を調製する。
共立法は、まず鶏卵、砂糖をミキサーで混合、攪拌して泡立ててから、その後で水飴、小麦粉(薄力)を順次加えて、前記のようにして生地を調製する。共立法は手法が簡単で、ミキサーで多量の操作ができるので,工場的生産法として適している。現在、どのメーカーでも一般的に行っている方法である。
別立法,共立法いずれも材料と配合が適切で、均一に良く混合され,また焼き上げ時、熱が良く生地内に通っていることが必要である。これらの工程も現在、順次機械化され、計量、割卵、配合も含めて将来全工程がオートメ化される可能性もある。
長崎では別立法によることは少なく、この方法によるメーカーは限定されている。ほとんどのメーカーは共立法によっていて、この場合白双目の添加は普通には小麦粉を配合する際に、一緒にこまたは直前に行われている。カステラの下方底面にある白双目は、以上の諸方法での操作によって生じるが、底面に残存していることが好まれ、それ自体甘味と食感が付与され絡み合い、一層風味カを醸し出し嗜好度が高い。なお白双目自身は砂糖の一部として配合する場合もある。
※福砂屋は、カステラ一筋にこの別立法を古くから確立し、今も守り続けています。洋菓子スタイルのスポンジケーキの様なミキサーによる共立法の撹拌では決して出来ない、別立法による手だてならではの美しい気泡が、ふっくら・しっとりとしたカステラを生み出すからです。
<簡単な家庭でのカステラ作り>
①卵、卵黄を合わせてほぐし、ふるった砂糖、ハチミツを加え、八分立て位まで泡立てます。
②ふるった薄力粉を一度に加え、手早く、サックリ混ぜます。
③紙を敷いた18cm丸型に、(2)の生地を流し入れ、表面を平らにします。
④型の底を4~5回たたいて、泡をにがし、ガス高速オーブンで焼きます。(160℃に予熱し約38分)
⑤焼き上がれば、表面にハケでみりんをぬり、庫内にそのままおいて冷まします。
⑥型からはずし、紙をはがして、好みの形に切り分けます。
材料
卵 3個
卵黄 1個分
砂糖 100グラム
ハチミツ おおさじ1.1/2
薄力粉 75グラム
みりん 少々
http://recipe.gourmet.yahoo.co.jp/B002909/ (参照日 2011/01/25)