レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008年10月09日
- 登録日時
- 2016/06/18 14:13
- 更新日時
- 2016/11/06 10:30
- 管理番号
- 神戸図-1059
- 質問
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往年のピアニスト小倉末(1891~1944)(1910年神戸女学院卒)について調べている。
山田賢二「大垣が生んだ世界的な天才女流ピアニスト小倉末子」『西美濃わが街』第252巻(1998年5月)に「1897(明治30)年:この頃からドイツ人ドーント(外国石油会社日本支店長夫人)にピアノを習う」とある。小倉末の兄である小倉庄太郎(慶応元年~1946)(デラカンプの2代目番)、
兄嫁のマリア・ニッチェ(原綴を知りたく存じます)、上記ドーント夫人に関する資料を探している。
小倉庄太郎氏の戸籍(写し)によると、父親の名前は「小倉周一」で「小倉久」は新しい説、とのこと。
- 回答
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・小倉庄太郎について
『日本の別荘・別邸』
「小倉はドイツ留学の経歴をもち、神戸港からの花筵の輸出で財をなした人物」とあり。
『日本のゴルフ史』
「日露戦争当時、六甲に住宅を持っていた只一人の日本人Mr.Shotaro Oguraは、1905年に会員(神戸ゴルフ倶楽部)になって妹さんと時を同じうしてゴルフをしていました。氏が日本人としての最初のゴルファーであります」「六甲で最初に、日本人として家を持っていた小倉庄太郎氏の令妹末子さん(当時15歳)は、日本で最初の婦人ゴルファーであります。」とあり、二人の写真も掲載。
『ゴルフ史話:摂津茂和コレクション1』
「第2部 日本ゴルフ史話」に「神戸ゴルフ倶楽部と小倉兄妹」という章があり、「この小倉庄太郎は、小倉久という古い内務省役人で、のちに和歌山県と岐阜県の知事を歴任した人の長男で、若くしてドイツに学び、ドイツ人の夫人をめとって、当時神戸で貿易商をしていた」とあり。夫人の名前は出ていない。
『ピアニスト小倉末子と東京音楽学校』
P.2に庄太郎とマリアの記述あり。
『「100年前の卒業生 : ピアニスト小倉末子の軌跡」展』
P.9に庄太郎とマリアの新聞記事あり。
・ドーント夫人について
H・E・ドーントについては
『神戸ゆかりの50人 part2』に「1894年に初来日。居留地のオイル会社に勤務」とあり。
『人物評伝編:日本ゴルフ全集7』に「明治37年に来日、スタンダード・バキューム・オイルの日本総代理店の支配人」とあり。
『神戸ゴルフ倶楽部100年のあゆみ』に詳述されている。
『プレイランド六甲山史』には、Daunt夫人の記述が載っているが、内容はゴルフの競技会に出場していたことや、夫の登山活動に協力したことなどで、ピアノについての記載はなし。
・デラカンプ商会について
『居留地の窓から 第7号』に「デラカンプ商会とデラカンプ家」という論文があるが、小倉庄太郎については記載なし。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 音楽史.各国の音楽 (762 8版)
- 参考資料
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- 『日本の別荘・別邸』平凡社 (PV:7000218796 5218=N4=)
- 『日本のゴルフ史』文友堂 (PV:0000056085 0017=130=)
- 『ゴルフ史話:摂津茂和コレクション1』ベースボール・マガジン社 (PV:0005158617 7838=M2=)
- 『神戸ゆかりの50人 part2』神戸新聞総合出版センター PV:70000265906 0012=1341=2)
- 『人物評伝編:日本ゴルフ全集7』三集出版 (PV:0005152888 7838=M1=7)
- 『神戸ゴルフ倶楽部100年のあゆみ』神戸ゴルフ倶楽部 (PV:7000178612 0017=330=)
- 『ピアニスト小倉末子と東京音楽学校』東京藝術大学出版会(PV:7200226893 7621=P1=)
- 『「100年前の卒業生 : ピアニスト小倉末子の軌跡」展』神戸女学院「小倉末子展」実行委員会(PV:7200162091 0017=416)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- メールレファレンス
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000193567