レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年10月12日
- 登録日時
- 2017/07/30 14:20
- 更新日時
- 2017/11/14 15:38
- 管理番号
- 2017-07
- 質問
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解決
天岸季寧は昇安の養子か、椒玄(恵廸)の養子か知りたい。
- 回答
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【資料1】季寧が昇安の養子であることが明記されている。(p134)以下一部抜粋
名は應=、通称は椒玄。容堂と号した。
天保11年(1840)8月没(57才)
墓は城北山越の長建寺にあり
その養子に天岸季寧がある。通称は椒玄、静里と号した。
天岸昇安に才名を知られ、養子となり、周明して椒玄と称し、松山候の侍医となった。
【資料2】p174「松山侍医有容堂天岸君墓表」の末尾に「東奥安積信撰 淡海=研書 孝子恵迪立石」とある。文中に何度か「恵廸」はあるが、「季寧」はない。
【資料3】文化4年(1807)の分限帳:二百石-天岸昇安 文化6~7年(1823)の分限帳:二百石-天岸椒玄
【資料4】寛政元年(1789)御側医師 一七〇石天岸昇安
嘉永五年頃(1852)御側医師 本科二〇〇石天岸椒玄
安政六年頃(1859)御側医師 二〇〇石天岸椒玄
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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愛媛県生涯学習センターのDB「えひめの記憶」で昇安の養子になったことを確認。
東京三田済海寺の天岸昇安墓碑には恵迪を養子と刻されている。
季寧の遺構をまとめた「静里遺構」にある、藤野正啓撰の季寧墓碑銘には椒玄(恵廸)の養子のように記されている。
- NDC
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- 個人伝記 (289)
- 四国地方 (218)
- 参考資料
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- 【資料1】『伊予偉人録』(愛媛県文化協会 1936年)<当館請求記号K490-6>
- 【資料2】『予陽叢書 第6巻 松山叢談』(臨川書店 1973年)<当館請求記号K200-2-6>
- 【資料3】『医界風土記 中国・四国篇』(思文閣出版 1994年)<当館請求記号K490-6>
- 【資料4】「愛媛県史 社会経済6 社会」(愛媛県生涯学習センターDB「えひめの記憶」)
- キーワード
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- 天岸季寧(あまぎし きねい)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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【資料2】~【資料4】は関連資料として紹介。
天岸季寧は、文政12年~明治18年、松山藩医。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000219544