レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/10/03
- 登録日時
- 2015/10/08 00:30
- 更新日時
- 2015/10/08 00:30
- 管理番号
- 6001011475
- 質問
-
未解決
堺市史で江戸時代の堺に薩摩屋町という町名があったと記されていますが、その起源や由来など詳しく分かる資料はありませんか。
- 回答
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結果から申しあげますと、起源・由来について記載を見つけることはできませんでした。
調査結果の詳細は次の通りです。
(【 】内は、当館の請求記号です。)
『角川日本地名大辞典 27 大阪府』 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1983.10 【374/135/#】
p542 「さつまやちょう 薩摩屋町」は「南中之町下浜」をみよの参照あり
同資料p1173 「「南中之町下浜」 <堺市> 〔近世〕 江戸期~明治5年の町名、・・・。当町内の各筋には材木町・小舟町・薩摩屋町・木挽町(阿免寺町)・中之町浜などの名称があった(堺市史5)。また町内には浄土宗安養山阿免寺がある。明治5年中之町西1~4丁となる。」
同じく地名辞典では
『日本歴史地名大系 28‐[2] 大阪府の地名2』 平凡社 1986.2 【374/147/#】
p1284 「「南中之町下浜」 現・堺市中之町西2-西4丁 南中之町上浜の西から海岸に至るまでの町。・・・大浜筋西一筋目に木挽町(阿免寺町とも)、二筋目に材木町、三筋目に小船町、四筋目に薩摩屋町の異称があった(申唱之町名「堺市史」所収、文久三年堺大絵図)。・・・」とある。
そこで参考文献にあがっていた
『堺市史 第8巻 索引・年表・編纂沿革』 清文堂出版 1977.10 【328/763/#】 昭和5年刊の復刻
をみると
p78に「薩摩屋町」 ―の位置 本編3巻p154、資料編2巻p485
本編3巻p154の記述は「薩摩屋町 大道より西八筋目の中之町下濱」
資料編2巻p485の記述は「薩摩屋町 右同所(南中之町下濱)の内右同所(濱六間筋)(より)六筋目」 ( )内は回答者加筆、(より)は回答者が変体仮名一文字を平仮名に書き直した。
そのほか「薩摩屋形五徳」「薩摩屋小とら」「薩摩屋宗忻」「薩摩屋宗仁」「さつま屋藤五郎」「さつま屋孫五郎」の項目がありますが、いずれも手がかりになりませんでした。
次に
『元禄二己巳歳堺大絵図』 別冊 前田書店出版部編集 前田書店出版部 1977.1 【へ2/21/#】
索引をみると「薩摩屋」を含むものは「薩摩屋治(兵衛)」のみで「4-1-007」に掲載され、間口「9間半」・奥入欄「24・5」のかなり広い敷地を持ちますが、『元禄二己巳歳堺大絵図 戸別位置番号図』 前田書店出版部編集 前田書店出版部 1977.1 【へ2/21/#】 p4-1 007屋敷は現在の堺市堺区南瓦町1(大小路橋交差点<五叉路>南西角付近)になり、中之町西とは違う場所になります。
他の可能性として、人物から追いかけてみることにして「薩摩屋」の屋号を持つ人物を調査しました。
著名な人物として室町期に千利休の高弟に「山上宗二」(やまのうえそうじ)がいます。
『国史大辞典 14巻』 国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1993.5 【210.03/3N/14】
p210 「やまのうえそうじ」の項には、「一五四四-九十 安土桃山時代の茶人。屋号薩摩屋、号瓢庵。…」とあります。
この人物から
『山上宗二記の研究』 第6版 桑田忠親著 河原書店 1977.6 【992/503/#】
『大阪墓碑人物事典』 近松誉文著 東方出版 1995.11 【281.6/26N】
『大阪人物辞典』 三善貞司編 清文堂出版 2000.11 【281.6/53N】
を調査しましたが参考になるものは見つけることができませんでいた。
[事例作成日:平成27年9月30日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 角川日本地名大辞典 27 「角川日本地名大辞典」編纂委員会∥編 角川書店
- 日本歴史地名大系 28‐[2] 平凡社
- 元禄二己巳歳堺大絵図 [別冊] 前田書店出版部∥編集 前田書店出版部
- 元禄二己巳歳堺大絵図 [解説] 前田書店出版部∥編集 前田書店出版部
- 山上宗二記の研究 桑田/忠親∥著 河原書店
- 国史大辞典 14 国史大辞典編集委員会∥編 吉川弘文館
- 堺市史 第8巻 清文堂出版
- 大阪墓碑人物事典 近松/誉文∥著 東方出版
- 大阪人物辞典 三善/貞司∥編 清文堂出版
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 大阪
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000182200