レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016/03/30
- 登録日時
- 2016/05/15 00:30
- 更新日時
- 2024/03/30 00:37
- 管理番号
- M15101014377293
- 質問
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奥山朝恭作曲「湊川」の顕彰碑が後楽園の外苑に建てられている経緯について知りたい。
- 回答
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・『岡山の文学碑』(資料①)には、「奥山朝恭作曲顕彰碑」の解説が掲載されている。それによると、「奥山朝恭は、江戸の生まれ、年少から海軍鼓笛隊に入り、のち軍楽隊、音楽取調掛を歴任、兵庫県師範の先生になった。その頃同校生徒の湊川神社参拝の行軍歌として作った」のが「湊川」であるとしている。また、「奥山は岡山県師範に転じて五〇歳で退職、岡山市天瀬にこの地方最初の西洋料理店『浩養軒』を開業」とも説明している。
・『Osera』(資料②)によれば、「『浩養軒』は繁盛し、岡山後楽園内に移転。さらに、同園西外苑に移転拡大した」とあり、昭和29年、「顕彰碑は、彼を敬う人々により、岡山後楽園西外苑の『浩養軒』前に建てられた」と説明されている。
・『山陽年鑑 昭和31(1956)年版』(資料③)の昭和29年9月主要日誌には、「廿五日 唱歌『湊川』の作曲者故奥山氏の顕彰碑後楽園外苑に建つ」と記載されている。
・『山陽新聞』(資料④)には、「故奥山氏の顕彰碑 縁りの後楽園外苑で除幕式」という見出しで、浩養軒前に建てられた顕彰碑の除幕式の様子を写真つきで伝えている。
・『山陽新聞』(資料⑤)には、「後楽園内で朝火事」という見出しで、戦前から後楽園外苑で営業を続けてきた浩養軒が昭和44年1月4日に火事で全焼した様子が伝えられている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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①山本遺太郎『岡山の文学碑』岡山 日本文教出版,1965,214p. 参照はp.18-19.
②石津圭子「岡山朝恭先生作曲顕彰碑[岡山市]『湊川』作曲者ゆかりの地へ」『Osera』第6巻3号,2008年4月,p.86-87.
③『山陽年鑑 昭和31(1956)年版』岡山 山陽新聞社,1955,384p. 参照はp.1.
④『山陽新聞』1954年9月26日朝刊第7面.
⑤『山陽新聞』1969年1月4日夕刊第1面.
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①山本遺太郎『岡山の文学碑』岡山 日本文教出版,1965,214p. 参照はp.18-19.
- キーワード
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- 奥山朝恭
- 浩養軒
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2015101014320877293
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000192210