レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/01/06
- 登録日時
- 2013/06/07 00:30
- 更新日時
- 2015/08/06 15:07
- 管理番号
- 6000010362
- 質問
-
解決
「豊中の赤ひげ先生」園井東庵とはどんな人物か。
- 回答
-
江戸時代に豊中に住んでいた久留米出身の麻田藩のご典医で、貧しい者からは治療費を取らず、義斎明神とたたえられた。『新修豊中市史 第1巻 通史1』などに記載があり。
- 回答プロセス
-
郷土資料の書架を探す。
『新修豊中市史 第1巻 通史1』(豊中市)p839「近世前期の医者」に、園井東庵(1710?~86)についての記載があり。往来手形の裏書には筑後国上妻郡福嶋町明永寺境内居住の浪人とあるが、麻田藩主青木氏に医師として仕え、麻田村・岡町・刀根山に住み、貧しい者からは治療費を取らず米や薪を与えて、義斎明神とたたえられたとのこと。また天保6(1835)年に刊行された「百家琦行伝」には、宮仕えが性に合わず、職を辞するために病死と偽って葬式を出し、あやうく火葬されそうになって棺から飛び出してそのまま麻田には戻らず岡町に移った、富農の病を治して借財を肩代わりさせた、麻田藩主が再びの出仕を求めて岡町に使者を使わしたところ使者を待たせたまま逃げ出してそのまま刀根山に移り住んだ、などの逸話が紹介されている、との記載もあり。東庵の墓の写真もあり、豊中市刀根山元町の常楽寺にあるとされている。
『とよなか歴史・文化財ガイドブック』(豊中市教育委員会)p18「常楽寺」を調べるが、東庵の墓についての記載はなし。p16「安楽寺」に東庵の墓があるとの記載を発見。
市のサイトで園井東庵について調べると、やはり安楽寺に墓があるとのこと。また「まちのかたりべ 子どもに語る民話」のページhttp://www.city.toyonaka.osaka.jp/h_file/kataribe/index.html に、東庵先生の奇行として、逸話が紹介されている。
また『とよなかの史跡巡り』(瀧健三)p61-65「安楽寺」によると、東庵の出身は筑後の久留米、現在の福岡県八女市であるとのこと。上記のような逸話のほか、浄土宗の信者であったが刀根山には浄土宗の寺院がなく、墓は安楽寺、位牌は刀根山御坊(常楽寺)にあるとの記載があり。
『続 千里の歴史と伝統』(大阪府千里センター)p201-208「棺から逃げ出したご典医・園井東庵先生」によると、常楽寺にあるのは園井東庵の顕彰碑。刀根山では東庵没後に義斎明神を建立し、大正のはじめまでは毎年4月14日に義斎祭を行っていたとのこと。
このほか、『豊中の伝説と昔話』(鹿島友治)p60-62、『豊中の史跡たずね描き』(豊中市立教育研究所)p38・p40・p42、『麻田藩陣屋~重直一重記その他』(小谷英一)p9-11、『桜井谷郷土史 後編下巻』p74~83、『グラフとよなか』NO.18 1982年 p22に「とよなかの赤ひげ先生 園井東庵ものがたり」等、記載あり。また『先哲像伝』(有朋堂書店)に「百家琦行伝」が収録されている。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
-
- 『新修豊中市史 第1巻』豊中市史編さん委員会/編集(豊中市)
- 『とよなか歴史・文化財ガイドブック』豊中市教育委員会生涯学習推進室地域教育振興課/編集(豊中市教育委員会生涯学習推進室地域教育振興課)
- 『とよなかの史跡巡り』瀧 健三/編集(瀧 健三)
- 『豊中の伝説と昔話』鹿島 友治/著(鹿島 友治)
- 『千里の歴史と伝統 続』北田 順三/文と写真(大阪府千里センター)
- 『豊中の史跡たずね描き』福西 茂/著(豊中市立教育研究所)
- 『麻田藩陣屋』佐治 政雄/編(小谷英一)
- 『先哲像伝』[得斎原義胤/編](有朋堂書店)
- 『桜井谷郷土史 後編 下巻』 松井 重太郎/著 豊中市教育研究会「豊中の歴史」部会
- キーワード
-
- 園井東庵(ソノイトウアン)
- 人物
- 義斎明神(ギサイミョウジン)
- 麻田藩(アサダハン)
- 歴史
- 江戸時代
- 福岡県
- 八女市(ヤメシ)
- 豊中(トヨナカ)
- 医者
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000132146