レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/10/27
- 登録日時
- 2017/11/27 00:30
- 更新日時
- 2024/03/29 00:32
- 提供館
- 金沢市図書館 (2310230)
- 管理番号
- 玉川-000580
- 質問
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未解決
【亀田鶴山の遺物について】 『平安名陶伝 木米』p.88-89に、亀田鶴山の遺物が競売にかけられたことが書かれているが、この中に屏風が含まれていたかどうかわかる資料はないか。
- 回答
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『平安名陶伝 木米』p.88-89に以下のように記述されている。
「鶴山の家は薮の下といふ所に在つて、金沢の所謂家柄町人として鶴山以後も代々町年寄銀座両役を勤めた程の名望ある家であつた。惜しいかな明治の末年にこの家没落して、数多き鶴山の遺物も卯辰山の西養寺に於て競売に附せられた」
【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/960232/1/67
『幕末・金沢川南町宮竹屋喜左衛門家と金沢片町亀田伊右衛門家について』(119995501) p.27-33「二 12世亀田伊右衛門について」によると、12世亀田伊右衛門は青山家から養子に入り、商業会議所会頭、金沢市会議員及び県会議員などを勤め、明治32年に47歳で病没した。また、p.33-34「三 初代辰村米吉氏について」によると、同氏が亀田薬舗を受け継ぎ、さらに黒田永一に薬業の全部を譲り、黒田が宮竹屋の事業をついだと記されている。亀田家のその後については記されていない。
『加賀藩の秘薬』(118413219)p.187に「明治の末より大いに家財を損失し家産を傾けた。その子に伊門があったが、金沢の店を手放し北海道へ移って行った。(中略)大正の初め伊右衛門の政界の友、辰村米吉(先代)は片町の家屋を買いとり、約四百年連綿として続いた宮竹屋を閉鎖するにしのびず引続いて、薬局を経営し三味薬の製造を行なった」と記されている。入札の有無については記されていない。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000225494