レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2018/10/13 14:06
- 更新日時
- 2018/10/31 15:34
- 管理番号
- 32
- 質問
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戦争中、三次町(現在の三次市三次町)にあった民間人抑留所について
- 回答
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昭和16年(1941)12月14日に抑留所として開設。この施設は昭和13年に開設されたキリスト教カトリック系の託児所「三次愛光保健園」を国が接収して使用した。
開設当初は、広島大学の教授2名、イギリス人軍医、イエズス会の修道士など8名の男性とアイルランド人2名、ベルギー人2名の修道女と、プロテスタントのアメリカ人女性宣教師2名、計6名の女性の 14名が抑留された。その後昭和17年(1942)3月岡山のノートルダム清心の修道女12名も加わった。しかしこの人たちは11月に東京の収容所に移され、捕虜交換船で帰国した。
その人たちと入れ代りのように、12月20日にオランダの病院船オプテンノール号の捕虜44名が収容された。彼らの内訳は軍医6、歯科医1、看護婦15、看護士2、乗組員20。彼らは昭和20年9月12日三次を離れるまで収容されていた。
当時の日本軍のかれらの扱いは、病院船のだ捕、日本の病院船として使用、俘虜としての収容など何点もの国際法違反にあたるため、特に極秘とされていた。
- 回答プロセス
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三次市に戦時中、民間人抑留施設があったことは極秘の情報としてあまり知られていない。
平成29年(2017)当時の抑留者が遺した施設内などの様子を描いたスケッチの複写をその遺族から寄贈を受け三次市立図書館の資料として登録したこともあり、関連資料の記録をまとめることとした。
郷土資料としての参考資料
三次捕虜収容所スケッチ集 ヘリット・クーフェルデン
広島県警察百年史 下
げいびグラフ 第85号 三次の捕虜収容所 米丸嘉一 p24~27
みよし地方史 第54号 戦時中の三次捕虜収容所について 米丸嘉一
三次市史 Ⅲ p287~295
全体的な研究資料は参考資料に記入
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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三神國隆 著 , 三神, 國隆, 1942-. 海軍病院船はなぜ沈められたか : 第二氷川丸の航跡. 芙蓉書房出版, 2001.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003030059-00 , ISBN 4829503009 -
小宮まゆみ 著 , 小宮, まゆみ. 敵国人抑留 : 戦時下の外国民間人. 吉川弘文館, 2009. (歴史文化ライブラリー ; 267)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010045247-00 , ISBN 9784642056670
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三神國隆 著 , 三神, 國隆, 1942-. 海軍病院船はなぜ沈められたか : 第二氷川丸の航跡. 芙蓉書房出版, 2001.
- キーワード
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- 捕虜収容所
- 三次
- 民間抑留所
- オプテンノール号(第2氷川丸)
- 愛光保育園
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000243773