レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年06月12日
- 登録日時
- 2017/03/25 17:25
- 更新日時
- 2017/04/27 17:23
- 管理番号
- 2015-0030
- 質問
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解決
山形市宮町両所宮の門前近くで「史跡七ツ石」の石碑を見つけました。縄文・弥生時代のものなのでしょうか。発掘調査報告書などは無いのでしょうか。
- 回答
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「七ッ石」は資料1に「宮町の七不思議」の一つとして記述がありました。「宮町の七不思議」については、いつの頃からか伝説として語りつがれて来た。宮町は馬見ケ崎川の北岸にひろがる扇状地帯に発達しており、その自然的地形と集落の発達から七不思議がうまれた。という内容の記載があります。
また「史跡七ッ石」の石碑については、「史跡と呼ぶより伝説と書いたほうが、ふさわしいのではなかろうか。この石碑が建てられたのは昭和十四年七月で碑の文字はお宮様前の護摩堂と呼ばれた宮地肇氏が八十才の時書いたことが裏面に刻まれている。…七ッ石があった田は昭和七年十月から始まった北山形土地区画整理事業組合によって緑地として残され、七つ石を保存することになったのである。」と記述がありました。
資料4には宮町遺跡(みやまちいせき)の説明として「山形市宮町に所在。古墳前期の集落跡。山形市街の北、馬見ケ崎川扇状地の末端部に立地。…古墳前期の大規模な集落跡とみられ…この南側に宮町古墳があったが、今は失われてしまった。」とあります。
山形県ホームページの「山形県遺跡地図」によると、山形市北部両所宮付近にいくつかの遺跡が発見されています。そのひとつ「宮町円応寺遺跡」は、古墳時代、奈良・平安時代の集落跡があったことが記載されていますが、調査報告書はありませんでした。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 郷土の伝説宮町の七不思議/田中新治著/(YK264.1/タナ)
- 村山民俗学会/第240号/(KS380/ムラ/240)
- 村山民俗学会会報合本復刻版/村山民俗学会編(K380.6/ムラ)
- 角川日本地名大辞典6山形県/角川日本地名大辞典編纂委員会編(K290.3/カド)
- 山形県遺跡地図 山形県埋蔵文化財包蔵地一覧/山形県教育委員会[編](K202.5/ヤマ)
- ※( )は自館の請求記号です。
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000212715