レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年05月29日
- 登録日時
- 2017/04/21 17:01
- 更新日時
- 2019/06/26 13:08
- 管理番号
- 島根郷2016-05-002
- 質問
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解決
鎌倉幕府は、1274年の元寇(文永の役)の後に、西日本の海岸防御を強化するために防御構築を命じたといわれています。島根県では、西部の石見海岸に“十八か所の砦が築造された”と資料にありましたが、その砦について詳しく知りたいです。
- 回答
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当館所蔵資料より、下記の資料を紹介し回答。
資料1:p247に 研究ノート「石見十八砦について」あり。
石見海岸の防塁や城砦のの修築を行なったことを証する史料はないが、『石見国由来記』(1811年)には弘安の役に際して18ヵ所の砦が築造されたことが記されている、とある。十八砦を具体的に挙げ、本格的な中世城郭から急造された砦まで様々なものであったろう、とする。また十八砦の比定地の地図を載せる。
資料2:p156-157 に記述があり、弘安4年に益田兼時の弟である末元兼直・多根兼政が防塁を築く。このとき石見国中に十八の砦を築く。吉野朝廷時代には石見三十二城といい、群雄割拠時代には四十八城の語あり、とする。また 「弘安前後石見国防備十八城砦」として砦の名前、在所、支配者の名前を挙げる。
資料3:p24-25 「弘安前後石見国防備十八城砦」があり、内容は資料2と同じ。
- 回答プロセス
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『石見国由来記』(資料4)は、「十八砦」とのみ書かれており、具体的な砦についての記述はなし。
『石見誌』も同じ。
- 事前調査事項
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『サイハン モンゴル』(岡崎秀紀著、報光社、1994年)p168「石見の元寇関連遺跡『石見十八砦』」というコラム。文中では、『石見国由来記』に益田氏の庶家が防衛にあたったこと、石見の海岸に18カ所の砦が築造されたことなどが記されている、としている。また、『那賀郡誌』『浜田町誌』にはこの石見十八砦が列挙されている、とあり。また、参考文献として『日本城郭体系 第14巻』(新人物往来社)が挙げられている。
- NDC
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- 中国地方 (217 8版)
- 参考資料
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【資料1】平井聖 [ほか]編集 , 平井, 聖, 1929-. 日本城郭大系 第14巻. 新人物往来社, 1980.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001450707-00 (当館請求記号 郷貸出210.1/170/14) -
【資料2】大島幾太郎 著 , 大島幾太郎. 那賀郡史 復刻版. 大島韓太郎, 1976.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069487641-00 (当館請求記号 092.6/19 ※貸出禁止資料) -
【資料3】浜田町史編纂係 編 , 浜田町史編纂係. 浜田町史 復刻版. 大島韓太郎, 1976.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069330368-00 (当館請求記号 092.6/3 ※貸出禁止資料) -
【資料4】旧島根県史編纂資料 近世筆写編 41 複写.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069410903-00 (当館請求記号 C1/2023/41 ※貸出禁止資料)
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【資料1】平井聖 [ほか]編集 , 平井, 聖, 1929-. 日本城郭大系 第14巻. 新人物往来社, 1980.
- キーワード
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- 島根県
- 石見地方
- 元寇
- 文永・弘安の役
- 城砦
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000215206