レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年05月30日
- 登録日時
- 2014/09/09 15:27
- 更新日時
- 2014/09/26 15:23
- 管理番号
- 島根郷2014-05-007
- 質問
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解決
明治時代、なぜ鳥取県が島根県に統合されたのか理由を知りたい。
- 回答
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当館所蔵資料より、以下の資料を紹介し回答。
資料1:p43-44「山陰五州の島根県」に記述あり。明治9年4月18日に浜田県が廃止され、8月21日に鳥取県を廃止し、それぞれ島根県へ併合されることが太政官布告で明らかにされ、ここに因幡・伯耆・隠岐を加えた山陰五州を管轄する島根県が成立した。これを受けて鳥取県では早くから県の再置を求める運動が起こったとされる。具体的な理由は書かれていない。
資料2:明治9年(1876)8月21日、太政官布告第百十二号の公布より、鳥取県が廃され島根県に合併された。県庁は松江に定められる。これにより、島根県は出雲・石見・隠岐・伯耆・因幡を合わせた山陰五州を管轄した。
この時期、廃県になったのは鳥取県だけでなく、筑摩・浜松・磐木など14県にのぼる。
明治14年(1881)9月12日、太政官布告第四十二号の公布により、鳥取県が再置される。因幡・伯耆の両国を管轄。
なぜ鳥取県が島根県に統合されたかははっきりわかっていないが、理由として、県が小さすぎる(p277)や鳥取、島根が山陰道のため廃合された(p33)と推測されている。
資料3:p41-42「山陰五州の島根県」の項目あり。
※鳥取県が再置された9月12日は、平成10年から「とっとり県民の日」に制定されている(鳥取県HP http://www.pref.tottori.lg.jp/0912/)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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質問者より:『邪馬台』(北森 鴻/浅野 里沙子、新潮社、2011年)に大島根県の話が出てきた。なぜ譜代である島根県に鳥取県が統合されたのか。→【当館調査】p259「幕末当時、尊皇攘夷の旗の下に倒幕に参加した鳥取県は、明治維新後になぜか佐幕朝敵の島根県に合併吸収されてしまう。」の一文をさしていると思われる
- NDC
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- 中国地方 (217 8版)
- 参考資料
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【資料1】島根県/編. 新修島根県史 2. 臨川書店, 1984.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I000490067-00 (当館請求記号 092/0790/2 ※貸出禁止資料) -
【資料2】吉村撫骨 編 , 吉村, 撫骨, 1885-1945. 鳥取県再置秘史. 国書刊行会, 1979.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001405775-00 (当館請求記号 郷貸出217/145) -
【資料3】「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 , 角川日本地名大辞典編纂委員会. 角川日本地名大辞典 32. 角川書店, 1979.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I000101836-00 (当館請求記号 092.9B/311)
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【資料1】島根県/編. 新修島根県史 2. 臨川書店, 1984.
- キーワード
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- 島根県
- 鳥取県
- 合併
- とっとり県民の日
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000159583