「神戸工業高等専修学校」の卒業名簿や校史は所蔵なし。
学校について若干の記述がある資料は以下のとおり。
①『兵庫県産業教育七十年史』(兵庫県産業教育七十年史編纂委員会編 兵庫県産業教育七十周年記念会 昭和30年発行)
〇第三篇第二章第二節 工業及び商船の各学校の開設 三、神戸工業高等専修学校(私立) p207~208
〔全文〕
神戸市における工業就業者の数は、工業の発展に伴い著しく増加した。これらの工人中の向学心盛んな人々のためには、夜間の中等もしくは初等程度の学校はあったが、高等程度の学校が無く、多くの時間と経費を犠牲として大阪の工業専修学校に通学する者も多数に上り、神戸に設置を希望する声も高くなったので、神戸実業協会に於いて、神戸工業高等専修学校を設立することとなり、神戸高等工業学校内に設置することとして、大正十二年五月一日許可され、同月二十三日開校した。設置学科は機械・電気・建築の三科で三年制とし、教師は神戸高等工業学校の教授・教官及び神戸村野工業学校の教諭等であった。校長は広田精一氏(神戸高等工業学校長)。副校長は大野部一郎氏(神戸村野工業学校長)であった。入学資格は第一学年は神戸村野工業学校専修科・県立工業高校別科・商工実修学校後期の各卒業者の中より、第二学年は中等学校・実業学校(甲種)卒業者中より、試験の上入学を許可した。なお予科として、修業二箇年の中等部が設けられた。最初の年は第一・第二学年を同時に募集した。
〇第三篇第三章第二節 県立工業学校組織の変更と工業教育の充実 三、その他の工業教育機関の充実 p231~232
〔p232抜粋〕神戸工業高等専修学校では、昭和十三年五月に土木科を加えるに至った。
〇第三篇第四章第二節 学制改革までの工業教育 一、戦後の工業教育機関の整理 p267~271
〔p271抜粋〕 神戸工業高等専修学校は、終戦以来授業を中止していたが、昭和二十一年十月十三日授業を再開した。しかし新制度の実施とともに、生徒募集を中止している。
②『神戸実業協会史』( 武井勇二著 神戸実業協会 昭和33年発行)
〇神戸工業高等専修学校の創設 p93~94
〔要約〕(『兵庫県産業教育七十年史』に記述がある内容を省く)
この学校は鹿島房次郎(神戸実業協会会頭)の提唱・推進によって実現したもので、夜間制とし、家庭の事情のために専門の教育を受ける機会にめぐまれない青年たちのために技術習得の場を与えることが目的であった。入学希望者は非常に多く盛況を極めたので、村野工業学校の一部を借用して授業を続け、昭和八年には680人の学生を収容した。 本校は昭和十年に財団法人となった。この時校長も小宇田実(古宇田の間違いか?)に代わった。財団法人の構成は次の通りであった。△設立者:協会会頭 川西清兵衛△理事長:神戸高等工業学校長 小宇田実(古宇田?)△理事協会幹事:物集伴次郎△理事:同 菅音次郎△理事:村野工業校長 大野部一郎 (~つづく) 同校は終戦以来授業を中止、昭和21年10月13日再開したが、教育新制度の実施とともに学生募集を中止し、自然に廃校の姿となって今日におよんでいる。
③『神戸大学工学部五十年史』 財界評論新社 昭和46年発行
p24~25 神戸工業高等専修学校設立
内容は『兵庫県産業教育七十年史』p207~208と同じ