レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20140227
- 登録日時
- 2016/12/08 13:39
- 更新日時
- 2016/12/20 10:40
- 管理番号
- 新県図-01342
- 質問
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解決
幕末に石瀬代官所の代官を務めた西与一左衛門について
- 回答
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当館の所蔵資料を調査したところ、以下の(1)~(5)に西与一左衛門に関する記述がありました。
(1)『寛政重修諸家譜』(続群書類従完成会/編 続群書類従完成会 1966)
p377に西與一左衛門という同姓同名の人物2人(祖父と孫)について記述があります。
(2)『国史大系』第44巻[徳川実記第七篇] 新訂増補版(黒板勝美/編 吉川弘文館 1976)
p371に正徳4年3月5日に西與一左衛門が士籍を剥奪されたことに関する記述があります。
(3)『新井市史』上巻(新井市史編修委員会/編 新井市史編修委員会 1973)
新井地方の村々の支配について、p272「宝永三年(一七○六) 西与一左衛門(元禄八年一二月一一日~正徳元年カ)が、平岡十左衛門と交替(一月二九日辞)した。」、p275「正徳元年(一七一一) 西与一左衛門の支配地が小宮山長右衛門(正徳元年四月一五日~享保六年一月二日没)と鈴木八右衛門の支配となった。」と記述があります。
(4)『ふるさと石瀬』(石瀬字誌を作る会/編 石瀬字誌を作る会 1996)
p32の「石瀬代官所の発足と廃止まで」という年表の中で宝永三年(一七○六)に西与一左衛門が代官となったことについての記述があります。また正徳元年には代官は小宮山長右衛門になっています。
(5)「幕領石瀬代官の歴代」(『燕郷土史考』 15号 p43~56)
p44~45に西与一左衛門長貞について、その経歴などの記述があります。なお、その内容は『寛政重修諸家譜』を基にしています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 北陸地方 (214 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 新潟県
- 近世史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000201442