1 『岐阜県史(通史編・近代下)』に同様の記述があるが(775ページ)、具体的な内容については分からず。ただ、出典が中村孝也著『徳川家康公伝』(書庫:289.1/ト)とあるので、同書にあたるが、「伝馬朱印状が下された」とあるのみで詳細までは分からない。『徳川家康公伝』では、朱印状の出典を「続古文書類纂・木曽考・木曽日記録」としている(349ページ)。
2 蔵書検索で3つの資料を検索するが、「木曽考」のみヒット。「続古文書類纂」は“続”をとって「古文書類纂」で検索し直すと、『続岐阜県古文書類纂(巻1~巻6)』(郷土書庫:200.8/ギケ)がヒットした。
3 「木曽考」は雑誌論文の抜刷で探している資料ではなかった。『続岐阜県古文書類纂』では、巻1に「朱印書之部伝馬」があったので、該当箇所をみると、慶長7年に岐阜町に発せられた朱印状が見つかる。しかし、『続岐阜県古文書類纂』は手書きの謄写版であるため、別の資料がないか再調査。
4 岐阜町のことなので、もしかしたら『岐阜米屋町史』(郷土:221/イ)で何かわかるかもしれないと思い、調べてみると、「御朱印と制札」という章があり、そのなかに探している朱印状の全文が載っているのを見つける(28ページ)。また、長瀬寛二纂『岐阜志略』(郷土書庫:221/ナ)のなかにも収録されていた(6ページ)。
5 一方、「木曽考」を国立国会図書館のOPACで検索すると、『大日本地誌大系』に収録されていることがわかる(『国書総目録』でも同書に収録されていることが分かる)。『大日本地誌大系』(郷土書庫:291/キ)は当館で所蔵しているので、早速みてみると、380ページに木曽代官山村道祐に発せられた朱印状が載っていた。