レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2002/10/23
- 登録日時
- 2006/08/09 02:12
- 更新日時
- 2010/02/24 18:49
- 管理番号
- 埼久-2002-090
- 質問
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解決
安来節が、浅草の木馬館で上演されていた頃の記述がある資料を見たい。簡単な記述でよい。
- 回答
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正確な上演期間は判明しなかったが、調査経過を連絡し、資料を見てもらう。
『浅草木馬館日記』には「安来節さよなら公演」についての記述があり、木馬館の安来節公演は、昭和52年6月28日に幕を閉じたとあり。
『朝日新聞 縮刷版 1977.6』「6月19日」の記事に「安来節さよなら公演大入り」の記事あり。「40年の歴史を閉じる」とあり、昭和12年頃から上演されていたらしい。
『浅草六区(エンコ)はいつもモダンだった』『浅草六区(エンコ)興行史』『民謡風土記』に少々記述あり。
『国史大辞典』には、「大正初年、東京(浅草)に進出」との記述あり。
- 回答プロセス
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自館目録の《LIVRE》で〈木馬館〉を検索すると、『浅草木馬館日記』あり。
本書の内容を見ると、「安来節さよなら公演」についての記述があり、それによると、木馬館の安来節公演は、昭和52年6月28日に幕を閉じたとあり。
『朝日新聞 縮刷版 1977.6』にあたると、6月19日に「安来節さよなら公演大入り」の記事あり。
記事中に「40年の歴史を閉じる」とあるので、昭和12年頃から上演されていたらしい。
『浅草六区(エンコ)はいつもモダンだった』に、参照資料中最も多い記述があり。
『浅草六区(エンコ)興行史』にも〈安来節〉について記述あり。〈木馬館〉の名も見られる。
『民謡風土記』に少々記述あり。
『国史大辞典』には、「大正初年、東京(浅草)に進出」との記述あり。参考文献にあげられている「安来節」(山陰文化シリーズ 7 : 国会図、都立中央図、島根図など)は県立未所蔵。
『島根県大百科事典』には、「木馬館で常時上演していた」という記述のみ。参考文献にあげられている「安来節の歴史」(松本興 安来タイムス社 1968:島根県図)は県立未所蔵。
《本やタウン》を〈木馬館〉で検索すると10件ヒットする。このうち所蔵資料の内容にあたる。
『東京文学百景』には、安来節の公演が行われている旨の記述あり。
『はなしか稼業』は、落語家が書いたエッセイだが、上演当時の記述が5頁あり。
『大宅壮一文庫雑誌記事索引総目録 件名編』を〈木馬館〉で検索する。
『週刊朝日 1963.9.13』の「日本人の遊び場」(開高健)に、木馬館は「浅草と安来節の最後のとりで」との記述があるのみ。
《Google》を〈安来節 & 木馬館〉で検索すると、「安来節略年譜」を掲載したWebサイトあり。大正8年に、大阪吉本興業が安来節に目をつけ、「これがもとで東京(木馬館)と大阪の安来節の専門館が誕生した」との記述はあるものの、木馬館の公演開始を示す記述なし。
正確な上演期間は判明しなかったが、これらの資料を見てもらうと、これでよいとのこと。
その他、『郷土民謡舞踊辞典』『芸能辞典』『日本民謡大鑑 上』『大正ニュース事典』『昭和ニュース事典』等には、〈安来節〉と〈木馬館〉の関わりを示す記述は見あたらず。
- 事前調査事項
- NDC
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- 大衆演芸 (779 9版)
- 参考資料
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- 『浅草木馬館日記』(美濃瓢吾 筑摩書房 1996)
- 『朝日新聞 縮刷版 1977.6.19』
- 『浅草六区(エンコ)はいつもモダンだった』(雑喉潤 朝日新聞社 1984)
- 『浅草六区(エンコ)興行史』(〔東京都〕台東区立下町風俗資料館 1983)
- 『国史大辞典』(吉川弘文館)
- キーワード
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- 大衆演芸
- 民謡-安来節-島根県
- 木馬館-浅草-台東区-東京都
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000030004