レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年2月25日
- 登録日時
- 2015/02/25 10:30
- 更新日時
- 2015/02/26 11:06
- 管理番号
- 074
- 質問
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解決
昭和11年(1936)に実施された尼崎市と小田村の解消合併について調べたい。
- 回答
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尼崎市は、大正5年(1916)に市制を施行しました。その後、隣接する5か村と順次合併し、昭和22年(1947)に園田村と合併してほぼ現在の市域となりました。このうち最初の合併が、昭和11年(1936)2月11日の小田村との解消合併です。
小田村は当時の尼崎市の東隣に位置しており、尼崎市と同様、工業化や市街地化が著しく進行していました。大正5年の市制施行時、すでに尼崎市の前身である尼崎町は、市制施行基準の人口3万人以上という要件を満たしていなかったため、小田村に合併の申し入れを行なっていました。このときは小田村側の合意を得られず合併は実現しませんでしたが、その後昭和初期にかけて、合併推進の機運が高まります。昭和10年、内務官僚出身で地方官を歴任した有吉實が尼崎市長が就任し、合併を強力に推進したのに加えて、県の仲介もあり、昭和11年の解消合併に至りました。新たに発足した尼崎市は、人口12万4千人余り、当時全国第31位の人口規模の都市となりました。
こうした合併の経緯については、『尼崎市史』『図説尼崎の歴史』といった刊行物で確認できます。また合併当時の様子を、史料館が所蔵している写真や地図により確認することができます。
- 回答プロセス
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1 参考文献
◆『尼崎市史』第3巻
第6章第5節4「地方行財政の拡大と尼崎市・小田村の合併」掲載
同書650頁に尼崎市・小田村合併調印式写真掲載
◆『尼崎市史』第8巻
二「行政」2「市村合併」に関連史料を収録している
◆『図説尼崎の歴史』下巻/Web版『図説尼崎の歴史』
近代編第4節4「都市化の進展と「大尼崎」」執筆者:佐賀朝
2 関連資料
◆写真・地図類
上記合併調印式写真のほか、尼崎市立地域研究史料館所蔵写真・地図類により、合併前後の様子などを確認することができる。
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 9版)
- 地方自治.地方行政 (318 9版)
- 参考資料
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- 『尼崎市史』第3巻・第8巻 昭和45年・53年発行 (当館請求記号 219/A/ア-3・8)
- 『図説尼崎の歴史』下巻 平成19年発行 (当館請求記号 219/A/ア)
- キーワード
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- 尼崎市
- 小田村
- 合併
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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Web版 図説尼崎の歴史
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/visual/
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000168237