レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年04月12日
- 登録日時
- 2019/05/10 12:54
- 更新日時
- 2019/06/12 10:38
- 管理番号
- 島根郷2019-04-002
- 質問
-
解決
明治時代以降で、島根県における新聞の価格の推移がわかる資料はないですか。
- 回答
-
当館所蔵資料より、下記資料を紹介し回答。
資料1:p94に、明治45年(大正元年)~昭和16年までの山陰新聞・松陽新報の1ヵ月分の購読料と広告単価の一覧が載る。
明治45年、大正4・7・9・10・11年、昭和5・13・15・16年。山陰新聞は25銭~65銭、松陽新報は30銭~95銭の変遷。
昭和17年に合併した「島根新聞」では、1部4銭、1ヵ月1円(p140)。
p190に、昭和21年2月~29年9月の新聞(山陰新報・島根新聞)定価改訂の推移が載っている。昭和21年2月で1ヵ月5円、29年9月には170円となっている。
p23に、明治20年9月の山陰新聞で、1部2銭、1ヵ月27銭と伝わっている、とあり。p118に、昭和8年ごろで1ヵ月60銭とあり。
p40に、松陽新報の創刊当時の新聞代は1部1銭5厘、1ヵ月25銭、とあり。
ほかに
「松江新聞」(明治12年8月創刊)は、月7~8回の発刊で、1部1銭5厘、月極め前金で8銭4厘となっていた(p2)。明治15年廃刊(山陰新聞に引き継がれる)。
「松江日報」(明治23年2月創刊)は、創刊時期で1部1銭5厘、1ヵ月27銭(p4)。明治34年10月に「島根新報」と改題するが、明治37年廃刊。
「夕刊島根」(昭和24年1月創刊、島根新聞社)はタブロイド版で、昭和25年2月に「夕刊山陰」に改称。p212に価格改訂の変遷を載せる。昭和24年10月で1部1円、1ヵ月30円。29年5月からは1ヵ月100円、1部4円となっている。途中休止をはさんで「夕刊山陰新報」と改題するが昭和35年4月に廃刊。
資料2:p636-638「建てページ・新聞定価の推移」に、昭和17年~平成14年の月決め定価と1部の定価を載せる(1年~5年間隔)。昭和17年で月決め1円、1部4銭。平成14年9月で月決め2855円とする。夕刊については昭和24年~35年のものを載せる。
「山陰新聞」創刊時(明治15年5月)の定価は1部2銭、月決め前金で27銭とする(p6)。
「松陽新報」創刊時(明治34年11月)の定価は1部1銭5厘、月決めで25銭。ただし創刊号だけは2銭とした(p35)
- 回答プロセス
-
当館要覧「新聞資料」より「山陰中央新報 紙名変遷情報」
「山陰新聞」は明治15年5月創刊、「松陽新報」は明治34年11月創刊、昭和17年1月に両紙が合併し「島根新聞」と改称、昭和27年4月「山陰新報」に改称、昭和32年10月に「島根新聞」に改称、昭和48年3月25日に「山陰中央新報」に改称し現在に至る。
- 事前調査事項
- NDC
-
- ジャーナリズム.新聞 (070 8版)
- 参考資料
-
-
【資料1】白名徹夫 著 , 白名, 徹夫, 1886-. 島根県新聞史. 山陰新報社, 1955.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000957391-00 (当館請求記号090.7/2 ※貸出禁止資料) -
【資料2】山陰中央新報社社史編纂委員会 編 , 山陰中央新報社. 山陰中央新報百二十年史. 山陰中央新報社, 2003.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004236415-00 (当館請求記号 郷貸出070.6/サ03)
-
【資料1】白名徹夫 著 , 白名, 徹夫, 1886-. 島根県新聞史. 山陰新報社, 1955.
- キーワード
-
- 新聞
- 物価
- 島根県
- 山陰中央新報
- 山陰新聞
- 松陽新報
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000255913