レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2016/04/03 12:02
- 更新日時
- 2016/04/09 09:29
- 管理番号
- 098
- 質問
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解決
蜀山人(太田南畝)の「革令紀行」を読んでいる。尼崎藩の所領の境に建てられる「領界碑」についての記述があるが、阪神間における尼崎藩の支配地域(所領)がどの範囲だったのかよくわからない。わかるような文献や地図はないか。
- 回答
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「革令紀行」は、文化元年(1804)8月より蜀山人(太田南畝)が旅した大坂から小倉までの旅程を綴った紀行文です。尼崎から西への移動に際しては、道中目にした領界碑の碑面に刻まれた文字を丁寧に書き留めてあります。
領界碑は、近世において藩の境界を示す石碑で、一般には「榜示杭」とも呼ばれ、主として街道沿いに設置されていました。なお、現存する尼崎藩領界碑については、青山氏藩主時代(1635~1711)、松平氏藩主時代(1711以降)のそれぞれの時代に造られたものが残っていることから、設置・整備の時期が段階的であったと考えられています。
尼崎藩は、畿内・近国地域においては比較的まとまった所領を有していました。しかし、領境には旗本領・幕府領等が入り組んでいる地域(尼崎市域北部など)があったり、また尼崎藩領が続く西摂沿海地域も数か村は旗本領・幕府領・他領の飛び地が入り込んでいたりと、複雑な様相を呈していました。さらに、明和6年(1769)には、兵庫津から西宮までの灘目地域一帯が幕府に収公され、播磨国内に替え地を与えられるなど、尼崎藩の領地自体も大きく変遷します。尼崎藩の所領を理解するうえでは、以上のような経過と事情をふまえる必要があります。
尼崎藩の領界碑については、尼崎市立地域研究史料館研究紀要『地域史研究』、尼崎郷土史研究会々誌『みちしるべ』等に掲載される研究論文などにより、調べることができます。また、阪神間の近世の所領配置図が、『兵庫県史』の付図や、『尼崎地域史事典』『図説尼崎の歴史』をはじめ阪神間の各自治体史(基本的には各市の市域内のみ)等に掲載されています。
- 回答プロセス
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1 「革令紀行」にある領界碑の記述を確認。(『新百家説林 蜀山人全集1』)
〈神崎川から西へ向かう道程にて〉
(1)「自是南国役堤」 (2)「自是東尼崎領西他領入組」 (3)「自是東尼崎領自是北他領入組」
〈武庫川から西へ向かう道程にて〉
(4)「自是東尼崎領」
〈芦屋川から西へ向かう道程にて〉
(5)「自是東尼崎領自是西尼崎領他領入組」(6)「自是西尼崎領自是東尼崎領他領入組」
2 尼崎藩の領界碑について記した文献を紹介。
◆田中敦「尼崎藩の領界碑」『地域史研究』第36巻第2号(通巻103号)(2007年3月)
◆岸添和義「尼崎藩の領界碑について―古文書調査からの検討―」『地域史研究』第38巻第2号(通巻107号)(2009年3月)
◆岡本静心「尼崎藩の領界碑」『みちしるべ』第2号(尼崎郷土史研究会、1972年)
◆岡本馨「尼崎藩領界碑考」『みちしるべ』第14号(尼崎郷土史研究会、1985年)
◆荒木勉『尼崎藩の尼崎藩の領界標石』(2007年6月)
「革令紀行」をはじめ、天明・天保期の巡見使に関する記録類、道中記等から、領界碑の位置は以下のように比定される。
(1)は神崎村(現尼崎市)、(2)・(3)は西川村(現尼崎市/(3)は西川神社境内に現存か)、(4)は小松村(現西宮市/岡太神社境内に現存)、(5)は森村・岡本村境(現神戸市/旧池永孟邸内にあり。その後芦屋市域に現存か)、(6)は森村(現神戸市/小路八幡宮内に現存か)にあったもの。
3 阪神間の近世の所領配置図を掲載する文献及びwebサイトを紹介。
◆『尼崎地域史事典』p432~434 /Web版尼崎地域史事典"apedia"
尼崎市域について、元和3年(1617)、寛永12年(1635)、正徳元年(1711)の所領配置図を掲載。
◆『図説尼崎の歴史』上巻/Web版図説尼崎の歴史
近世編 第1節2「幕藩体制における大坂」執筆者:岩城卓二
「元禄期尼崎周辺の所領配置図」が掲載。伊丹市南部、西宮市東部の村名と所領が掲載されているが、明和6年(1769)上知以前のもの。
近世編 第2節1「西摂農村の経済発展と明和六年尼崎藩領上知」執筆者:岩城卓二
「明和上知前後の摂津国内所領変遷」図掲載。
明和6年上知における兵庫津(現神戸市兵庫区)から尼崎までの沿海地域村々の、尼崎藩領・幕府領・他領等の違いと上知による所領の変化がわかる
◆『兵庫県史』第4巻付図9「元禄期の所領配置図 Ⅰ摂津」
明和上知以前のもの。
◆『新修神戸市史』歴史編Ⅲ 近世 付図
神戸市域について、元和4年(1717)ころ、明和6年上知以後の所領配置図を掲載。
◆『西宮市史』第2巻 第14図「領知変遷図」
西宮市域(旧武庫郡のみ)について、元和3年、寛文4年、宝永8年(1711)、明和6年の所領配置図を掲載。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210)
- 参考資料
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- 〔大田 南畝/著〕 , 大田‖南‖畝. 蜀山人全集 巻1. 吉川弘文館, 1907. (新百家説林) (当館請求記号 210.5/A/ヨ-1)
- 尼崎市立地域研究史料館 編 , 尼崎市立地域研究史料館. 地域史研究 : 尼崎市立地域研究史料館紀要 103号. 尼崎市立地域研究史料館, 2007. (逐次刊行物)
- 尼崎郷土史研究会. みちしるべ2 : 尼崎郷土史研究会々誌. 尼崎郷土史研究会, 1972. (逐次刊行物)
- 尼崎郷土史研究会. みちしるべ14 : 尼崎郷土史研究会々誌. 尼崎郷土史研究会, 1985. (逐次刊行物)
- 荒木勉著,尼崎藩の尼崎藩の領界標石,私家版,2007. (当館請求記号219/A/ア)
- 尼崎市立地域研究史料館編集 , 尼崎市立地域研究史料館 , 尼崎市. 尼崎地域史事典. 尼崎市, 1996-03. (当館請求記号 219/A/ア)
- 尼崎市立地域研究史料館 編 , 尼崎市立地域研究史料館. 図説尼崎の歴史 : 尼崎市制九〇周年記念 : 新「尼崎市史」 上巻. 尼崎市, 2007. (当館請求記号 219/A/ア)
- [兵庫県史編集専門委員会/編]. 兵庫県史 第4巻 付図. 兵庫県, 1979. (当館請求記号 219/H/ヒ-4)
- 新修神戸市史編集委員会 , 神戸市 , 新修神戸市史編集委員会 , 神戸市. 新修神戸市史 歴史編3. 神戸市, 1989. (当館請求記号 219/S/コ-3)
- 西宮市. 西宮市史 第2巻. 西宮市, 1960. (当館請求記号 219/S/ニ-2)
- キーワード
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- 蜀山人
- 太田南畝
- 尼崎藩領
- 領界碑
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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Web版 尼崎地域史事典"apedia"
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/apedia/
Web版 図説尼崎の歴史
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/visual/
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000190715