レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008年11月26日
- 登録日時
- 2008/11/26 14:49
- 更新日時
- 2018/10/30 09:42
- 管理番号
- 9221
- 質問
-
未解決
讃岐勤皇党あるは高松勤皇党という名称を使った文献はあるか。
- 回答
-
依頼者が記述の可能性を指摘した「勤皇小橋友之輔」、「円座村史」、
「讃岐偉人村岡箏子刀自」について調査した。
以下が、調査結果である。
・「勤皇小橋友之輔」(香川県教育会/編・発行 1944年)
巻頭(頁付けなし)に、「讃岐勤皇党ノ役割」(高松勤皇党という名称にはなっていない)と題して
下記の組織図を掲載するとともに、小橋家一族を中心に讃岐の勤皇家の幕末における活動について
記している。
統裁=松平左近
幹部=小橋安蔵・長谷川宗右衛門・松崎渋右衛門
兵站部=村岡箏子・長谷川佐太郎・村岡宗四郎
交際部=小橋友之輔・太田次郎・土肥大作
通信部=木内龍山・小橋橘陰
情報部=日柳燕石・林孚一・池村久兵衛
(実際は縦書き)
・「円座村史」(福家惣衛/編 高松市円座公民館 1957年発行)
第三章封建社会 乙近世 第三節封建社会の崩壊-江戸幕府の後期
一、尊王論と勤王家 二、円座村の勤王(280~295頁)には、
讃岐勤皇党あるいは、高松勤皇党という名称は使用していないものの、讃岐の勤皇家の幕末
の動静について紹介している。
・「讃岐恩人村岡筝子刀自」(岡田唯吉/著 鎌田共済会 1936年発行)
この資料は、円座村の小橋家から丸亀の村岡家に嫁いだ村岡箏子の勤皇家としての
行動を記録している。
なお、次の資料を見たが、「讃岐勤皇党」あるいは「高松勤皇党」という名称は広く使用されていないのか、
「讃岐勤皇党」、「高松勤皇党」のいずれも項目や見出しになかった。
・「香川県大百科事典」(四国新聞社出版委員会/編 四国新聞社 1984年発行)
・「香川県史 別編1(索引・総目次)」(香川県/編 四国新聞社 1990年発行)の
通史編 第3巻(近世1)・第4巻(近世2)の事項索引
・「新修高松市史 1~3」(高松市史編集室/編 高松市役所 1964~1969年発行)
各巻末の事項索引
また、「藩政にみる讃岐の近世」(木原溥幸/編 美巧社 2007年発行)の2章高松藩
5節幕末の動向(186~202頁)を見たところ、高松藩における尊王攘夷の動きについては記して
いるものの、「讃岐勤皇党」、「高松勤皇党」という名称は出ていない。
さらに、学術情報のデータベースを一括して検索できる国立情報学研究所のGeNii学術
コンテンツ・ポータルで調査したが、「讃岐勤皇党」あるいは「高松勤皇党」に関する情報を
得ることはできなかった。
- 回答プロセス
-
当初、当館所蔵の歴史に関する基本的な資料である「香川県大百科事典」や「香川県史」、「高松市史」など
事項索引のある資料で「高松勤皇党」を調べたが、索引の見出し語としてはなかった。
そこで、何によって、「高松勤皇党」という名称を知ったか依頼者に確認したところ、数冊ほど、名称使用の可能性の
ある資料の指定があり、そのうち所蔵資料を調べたところ、「勤皇小橋友之輔」に、「讃岐勤皇党ノ役割」と題する
組織図の掲載が見つかった。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 四国地方 (218 8版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 讃岐勤皇党
- 香川県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000049284