レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年08月10日
- 登録日時
- 2017/01/19 10:04
- 更新日時
- 2017/03/15 14:16
- 管理番号
- 埼久-2016-107
- 質問
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解決
蕨市の石田パン屋が、埼玉県内で初めて給食用のコッペパンを作ったことについて書いてある資料を探している。
- 回答
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コッペパンであるかは不明だが、石田パン菓子店の店主石田秀夫氏が協力して全国初の学校給食を実施したという記述が確認できた資料を紹介した。
『蕨の空襲と戦時下の記録 わがまちの十五年戦争史』(金子吉衛著 さきたま出版会 1980)
p194-195 戦時下の政府統制に伴い、蕨の菓子製造・製パン業者が昭和16年1月に北足立郡製菓工業組合蕨支部協和会を結成したとの記述あり。当初の加盟店13店舗の中に石田パンあり。店主とみられる石田秀夫は、その後の昭和19年代までに廃業したとの記述あり。出典は「菓祖神ノ碑」とのこと。
p212-216 「この頃の小学校」の項に、栗原勇蔵「蕨教育史のひとこま―戦時体制下―」(『ふるさとわらび 第1号』 1969)のほぼ全文が転載されている。内容は、昭和14年第一蕨小学校(現蕨北小学校)の校長に着任した栗原勇蔵の体験談で、学校給食の創始に関する記述あり。「石田秀夫さん(旭町のパン店主)」による協力で実現したこと、「日本の学校給食は、昭和十四年に、わが蕨の小学校で創始されたものであると言っても過言ではないと思う。」との記述あり。
p592 「六 蕨の空襲と戦時下の記録年表」の項に、昭和15年11月13日に「第一蕨小では全国でも初めての学校給食をはじめる」との記述あり。
『蕨北小開校百年記念誌』(蕨商工会議所編 蕨市立北小学校開校百年記念祭協賛会 1970)
p65「百年のあゆみ」に「昭和十五年 一一月一三日 石田秀夫の協力により、全国ではじめての学校給食を開始。一人二個宛のパン食。この当時、昼休みは家に食べに帰る者が多く、中には食べずに校庭で遊んでいる子などもあった。開始されたパン給食は一一月が一三日間、一二月が一九日間。翌年一月に入って、粉の割当が思うようにゆかず一日間だけ。二月には一日一学年ずつにして一四日間。三月が一五日間を実施。」
『菓祖神の碑』(蕨地区菓子パン小売商組合 1968)
p7「蕨第一国民学校長栗原勇蔵氏は食料の不足による学童の栄養不足を恐れ学校給食をはじめた(本邦における学校給食のはじめであった)当時既に一般家庭をはじめ食糧材料の不足が甚だしかったが石田パン菓子店主・石田秀夫氏はよくその真意をくみ、多大の犠牲を払い、パンを納入していたが、ついにパンの中に野菜、海草、魚粉、骨粉などを入れて、美味で安価で栄養があり満腹感の多いパンを作ることに成功した。」
『わがまち蕨の戦後十五年史』(金子吉衛著 さきたま出版会 1990)
p291「そこで昭和十五年十一月、現北小(当時蕨第一国民学校)の校長だった栗原勇蔵は町うちの製パン業石田秀夫の協力を得て、全国で初めての学校給食を開始した。それは一人に二個分のパンを配給することであった。」とあり。
『新修蕨市史 通史編』(蕨市編 蕨市 1995)
付録1「蕨市年表」p43 昭和15年11月に「第一蕨小で全国初の学校給食(パン食)が始まる」との記述あり。
『東京日日新聞 埼玉版 昭和15年8月9日 8面』
「こゝにも代用食 蕨町で「石田式栄養食パン」 美味と低廉で評判」
「"石田式栄養パン"の石田さん」のキャプションで「写真」もあるが、写真は不鮮明で、記事の文字も潰れて読み取りにくい部分あり。
- 回答プロセス
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1 『読売新聞 CD-ROM 戦後Ⅰ、Ⅱ』を〈石田 & パン〉で検索するが該当なし
2 埼玉新聞記事見出し検索システム(埼玉県立図書館)を 〈石田 & パン〉〈パン & 給食〉で検索、記事を確認する
石田パン屋についての記事はなし。
3 自館目録を〈全項目:蕨 & パン〉で検索する
その他調査済み資料
『埼玉県教育史 第6巻』(埼玉県教育委員会編 埼玉県教育委員会 1976)
『埼玉県教育史 第5巻』(埼玉県教育委員会編 埼玉県教育委員会 1972)
『埼玉県の学校給食』(埼玉県教育委員会 1960)
『埼玉の学校給食』昭和54-63年度(埼玉県教育局学校保健課編 埼玉県教育局学校保健課)
『埼玉の学校給食 平成2年度』(埼玉県教育委員会 〔1991〕)
『蕨北小学校沿革誌』(奥光三郎編 蕨市立北小学校父母と教師の会 1963)
『学校 子どもたちの情景 第10回特別展』(蕨市立歴史民俗資料館編 蕨市立歴史民俗資料館 1995)
『時代 一五年戦争の記憶 企画展 第11回』(蕨市立歴史民俗資料館 〔2000〕)
『戦中・戦後の代用品 15年戦争の記憶 企画展 第13回』(蕨市立歴史民俗資料館 〔2002〕)
『銃後の女性たち 15年戦争の記憶 企画展 第14回』(蕨市立歴史民俗資料館 〔2003〕)
佐藤直哉著「戦中政策における代用品普及事業について」(『蕨市立歴史民俗資料館紀要 第1号』蕨市立歴史民俗資料館 2004)ほか
- 事前調査事項
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 関東地方 (213 9版)
- 学校経営.管理.学校保健 (374)
- 参考資料
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- 『蕨の空襲と戦時下の記録 わがまちの十五年戦争史』(金子吉衛著 さきたま出版会 1980)
- 『蕨北小開校百年記念誌』(蕨商工会議所編 蕨市立北小学校開校百年記念祭協賛会 1970)
- 『菓祖神の碑』(蕨地区菓子パン小売商組合 1968)
- 『わがまち蕨の戦後十五年史』(金子吉衛著 さきたま出版会 1990)
- 『新修蕨市史 通史編』(蕨市編 蕨市 1995)
- 『東京日日新聞 埼玉版 昭和15年8月9日』
- キーワード
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- 学校給食
- 蕨市-歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000206764