レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20150602
- 登録日時
- 2017/03/25 00:30
- 更新日時
- 2017/06/11 00:30
- 管理番号
- 0400001689
- 質問
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解決
大正年間に北原白秋が2回新潟へ来ていると思うが,その記載がある資料が見たい。新潟師範学校での講演。新潟師範学校の沿革誌などに記載はないか。
- 回答
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調査概略(2)~(7)の資料を提供。
それとともに,新潟新聞の下記記事を確認したので提供。
・新潟新聞 大正11年6月10日 朝刊2面
<北原白秋氏>「北原白秋が10日午前8時30分に新潟駅に到着。11日に講演会に臨み,12日の夜に商業会議所で歓迎歌会を開く」という記載あり。
・新潟新聞 大正11年6月10日 夕刊5面(※5面上部には6月11日と記載してあるが,1面に戻ると10日夕刊との記載になっている。内容から,10日夕刊と思われる。)
<今朝来港せる歌人 北原白秋氏 寛いで物語る白秋氏 専ら民謡童謡に就いて>
・新潟新聞 大正11年6月12日(朝刊)2面
<路人社主催 白秋氏講演 歌の言葉と芸術の香気>「11日午後1時半より県商品陳列所に於て講演会が開かれた」という記載あり。
・新潟新聞 大正11年6月13日(夕刊)5面
<白秋氏歓迎 音楽会と歌会>12日午後3時に師範学校講堂で開かれた音楽会について記載あり。
・新潟新聞 大正11年6月13日(夕刊)7面
<童謡音楽会 白秋氏も臨席>12日午後3時から開かれた音楽会についての詳細について記載あり。
・新潟新聞 大正11年6月15日(朝刊)2面
<白秋氏出発>13日朝に旅館を引き上げ,同夜は弁護士田中正名氏方に一泊,14日にはイタリア軒で午餐会を催し,午後6時には見送られて新潟を後にしたとの記載あり。新潟を主題とする民謡数編を遠からず発表するとも記載あり。
- 回答プロセス
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(1)『新潟県新潟師範学校沿革略誌』(新潟県新潟師範学校/編 新潟県新潟師範学校 1916)には記載なし。
(2)『砂山:白秋と新潟』(渡辺一雄/編 新潟市観光協会 1961)p12
大正11年に北原白秋が第1回目の訪問をした旨の記載あり。昭和3年に再び来越し,“その翌年のことと思うが”3度目の訪問があったと記載あり。
(3)『新潟ゆかりの文人たち』(谷川敏明 考古堂書店 1992)p136~137
砂山の作詩は大正11年で,6月の半ばに北原白秋が新潟を訪れたと記載あり。昭和4年6月9日に再び新潟を訪れたと記載あり。
(4)『かわらばんにいがた』(新潟日報 西新潟販売店会 1988)p29
大正11年6月10日に北原白秋が新潟に第一歩を印したと記載あり。翌11日,陳列館本館(現県庁舎)において,路人社主催の講演会が催され,翌十二日,師範学校講堂(教育学部)に集められた市内の小学校高学年生徒の歌と踊りを喜んで見聞され…と記載あり。
(5)『白秋全集 別巻』(北原白秋 岩波書店 1988)
・p500 年譜 大正十一年六月 新潟旅行
・p505 年譜 昭和四年六月 越後に旅行
(6)『越佐文学散歩 上』(伊狩章 野島出版 1974)p40~42
「大正11年6月,白秋は新潟師範学校に招かれ,「芸術の円光」と題する講演をした。そのあと,小学校児童による歓迎の童謡音楽会が行われ,白秋作詩の童謡十数曲が歌われた」
(7)『文学風景への旅 上』(田中榮一/監修 考古堂書店 1989)p37
「白秋が新潟市を訪れたのは,大正11年6月12日のことで,この日,市内の小学校音楽グループが白秋を招いて「白秋童謡音楽会」を新潟師範学校(現新潟大学医療短期大学部)講堂で開催したのであった」
- 事前調査事項
- NDC
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- 作品集 (918 9版)
- 参考資料
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- 新潟県新潟師範学校沿革略誌 砂山 新潟ゆかりの文人たち かわらばんにいがた 創刊40号記念特別号 白秋全集 別巻 越佐文学散歩 上巻 文学風景への旅 上
- キーワード
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- 北原白秋
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 一般利用者
- 登録番号
- 1000212666