(1)『週刊歴史でめぐる鉄道全路線 NO.44 福知山線/播但線/加古川線/姫新線』(資料①)には、「播美鉄道は1910年設立、現在の智頭急行線に近い上郡~津山間の鉄道を計画した。工事中止時に既に上月~美作土居間の万能乢(まんのうたわ)トンネルなどが完成しており、後に国が買収し姫新線に転用した。」とある。
(2)『岡山の乗り物』(資料②)では、「姫新線」の項目で「姫新線は、初めからの路線名ではなく、作備線と姫津線とが開通後に統合して一路線の姫新線としたものである」、「姫津線にも播美鉄道という前史がある」と記載している。
播美鉄道について「大正初年に、美作東部の富豪として知られていた豊福泰蔵を大株主とする会社が設立され、兵庫県の上郡―津山間の鉄道建設が免許になった。この鉄道建設工事は、全線中最も難工事とされた兵庫県境の土居の「万のたわ」トンネルの掘削から着工したのだが、これが金を食うばかりで、工事はいっこうに進まない。豊福はやっきになって二百万円といわれた全財産を注ぎ込んだが成功せず、ついに没落の悲運となって建設は中絶した。トンネルは後回しにして、平坦地での工事を進め、部分開通で資金を稼ぎながらやっていたら成功したであろうという評があった。大正11年(1922)に、国営で姫路―津山間を「姫津線」として建設されることになったが、中絶していた播美鉄道にまだ鉄道敷設権があったのでそれが障害になって難航をつづけたが、昭和2年(1927)になって姫路側から起工した。一方、岡山県内の工事も進み、昭和9年(1934)11月に、江見―東津山間が開通し、昭和11年4月、最後の難関であった佐用―江見間が開通して、ようやく全通の日を迎えた。大正初年に民間によって始めた建設工事は、資金難で中断があったが、22年を経て開通したのである。」と説明している。
(3)『みまさか鉄道ものがたり』(資料③)には、岡山県立記録資料館が所蔵する鉄道大臣官房文書課の鉄道院文書『播美鉄道(交通博物館)』と、筆者・小西伸彦氏が個人的に収集した資料を元にした、播美鉄道会社についての詳細な記述がある。
「播美鉄道会社の発足」に始まり、「江見・佐良山間敷説免許の取得」、「播美鉄道の工事」、「播美鉄道取締役社長・豊福泰造」、「豊福家の悲運」、「播美鉄道会社の解散まで」と、広範囲にわたって、詳しく記載されている。また、「万ノ乢トンネル」についても、9枚の写真を用いて説明が記載されている。
なお、この資料では、「播美鉄道会社の設立は1912(明治45)年7月5日」とあり、資料①と記述内容が違う。
(4)「豊福泰造」については、『岡山県歴史人物事典』(資料④)では、生没年月日は「1869・12・1~1943・8・23(明治2~昭和18)」とあり、「実業家・政治家。吉野郡上分(または下分。現勝田町馬形」で豊福俊雄の長男に生まれる。慶應義塾大学理財科を卒業後、帰郷。父俊雄とともに耕地改良、区画整理、植林、養蚕、運送業などの産業開発や勝英銀行創設を手がける。1912年(明治45)県下最高位で衆議院議員に当選。これより先の'11年(明治44)播美鉄道(現JR姫新線)株式会社を創立し、播磨(兵庫県西南部)~美作間の運輸の進展に力を注ぐ。」と記載がある。
(5)『鉄道遺産を歩く』(資料⑤)には、「万ノ乢トンネルと豊福泰造」というコラムがあり、播美鉄道会社の豊福泰造の略歴や写真等の掲載がある。また「姫新線は姫路と新見を結ぶ鉄道。このうちの姫路―美作江見間は姫津東線として工事が行われた。『日本鉄道請負業史 大正・昭和(前期)篇』は、姫津東線第八工区・上月―美作土居間延長6730mを、藤原組が8万3000円で請け負ったこと、工事着手が1935(昭和10)年1月10日だったこと、播美鐵道が建設に着手しながら未完に終わったものの土木と建造物はほぼ完成していたことなどを記している。同工区にある代表的な土木建造物とは、兵庫県内の判官トンネル74.7mと、兵庫・岡山県境に横たわる万ノ乢トンネル610.7mである。…(中略)…泰造は、播美鐵道の着工場所に万ノ乢を選んだのである。ところが、強固な岩盤が工事を阻んだ。岡山県の年間予算が200万円といわれた当時、泰造はトンネル工事に100万円の私財を投じたといわれている。(以下略)」と記載されている。
(6)『日本鉄道請負業史 大正・昭和(前期)篇』(資料⑥)を見て、資料⑤の引用に使用された内容を確認できる。
(7)そのほか、下記の資料にも播美鉄道についての記載がある。
・『勝田郡誌』(資料⑦)
・『津山市史 第6巻 現代1 明治時代』(資料⑧)
・『岡山の自然と文化 30』(資料⑨)
・『おかやま人物風土記』(資料⑩)
・井口美州「播美鉄道物語り―粟広御殿没落史―」(『汎岡山』第9巻第9号所収)(資料⑪)
・『作州からみた明治百年』(資料⑫)
・『岡山の鉄道と旅』(資料⑬)
・『岡山の鉄道 写真集』(資料⑭)
・『英田郡粟広村史』(資料⑮)