レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20130626
- 登録日時
- 2016/12/06 11:59
- 更新日時
- 2016/12/20 10:40
- 管理番号
- 新県図-01326
- 質問
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解決
大正15年に新潟県下を襲った豪雨の旧栃尾市における被害について
- 回答
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当館所蔵資料を調査したところ、以下の(1)~(4)の図書と(5)の新聞記事に大正15年に新潟県下を襲った豪雨に関する記述がありました。
(1)『栃尾市史』中巻(栃尾市史編集委員会/編 栃尾市 1979)
p678~711「第1節 大水害の状況」に大正15年の水害の被害状況について記述があります。またp711~754「第2節 救援活動」に大正15年の水害後の救援活動について記述があります。
(2)『栃尾郷大水害誌』(伊藤銀月/監修 大竹末吉/編 2003)[複製版]
p52~155「出水編」に大正15年の水害の栃尾町内の被害状況と当時の気象状況(雨量など)について記述があります。
(3)『栃尾町水災復興記念誌』(栃尾町/編 栃尾町 1928)
p1~8「一、大洪水ノ原因ト状況」に大正15年の水害の栃尾町内の被害状況と当時の気象状況(雨量など)について記述があります。
(4)『ふるさとの百年』栃尾・見附・南蒲原(新潟日報事業社出版部/編 新潟日報事業社 1981)
p48~50に大正15年の水害の様子を写した写真が掲載されています。
(5)『新潟新聞』
大正15年7月29日 朝刊 4面「二十八日未明の豪雨で鐵橋危險各線不通」など
大正15年7月29日 朝刊 7面「村松郷 町内でも腰を沒す」など
大正15年7月30日 朝刊 4面「守門嶽を中心に降った豪雨 全縣下を襲って各地惨憺」など
大正15年7月30日 朝刊 7面「二十九日も降雨歇まず 又々増水惨状更に甚し」など
大正15年7月30日 夕刊 3面「市内の浸水家屋 二百餘戸」
大正15年7月30日 附録「村松刻々危険」など
大正15年7月31日 朝刊 2面「島崎川門扉を閉し 百町歩湛水」など
大正15年7月31日 朝刊 3面「萬代橋も危險に瀕し一時は絶對通行止」など
大正15年8月1日 朝刊 4面「惨憺たる水害地に救護班が活動始」など
これらの新聞記事は栃尾町以外の被害について記述されているものも含まれます。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 河海工学.河川工学 (517 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 長岡市
- 水害
- 新潟県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000200926