レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/04/20
- 登録日時
- 2011/06/01 02:07
- 更新日時
- 2024/03/30 00:34
- 管理番号
- M11050516009583
- 質問
-
医師・三宅速は岡山疎開中に空襲にあい死亡したが、どのあたりに住んでいたのか。
- 回答
-
三宅速は、アインシュタイン来日の際に船中で彼を診察した徳島県出身の医師。
『アインシュタインからの墓碑銘』、『引導をわたせる医者となれ』によると、昭和20年5月に岡山市の長男・博(岡山医科大学教授)宅に疎開していたが、6月29日の岡山空襲で亡くなった。博の家は岡山市難波町で現在の「弓乃町(原文ママ)」、玄関は大きな道路の柳川筋に面していたとある。
なお、『岡山市の地名』によると、難波町は現在の富田町、蕃山町、弓之町に分割編入となっている。
以上のことから、疎開先は現在の岡山市北区弓之町1丁目か2丁目と考えられる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 医学 (490 9版)
- 参考資料
-
-
比企寿美子著『アインシュタインからの墓碑銘』武蔵野 出窓社,2009,221p. 参照はp.148-168.
比企寿美子著『引導をわたせる医者となれ』 春秋社,1999,227p. 参照はp.178-199.
岡山市地名研究会著『岡山市の地名』岡山 岡山市,1989,924p. 参照はp.211-212.
-
比企寿美子著『アインシュタインからの墓碑銘』武蔵野 出窓社,2009,221p. 参照はp.148-168.
- キーワード
-
- 三宅速
- アインシュタイン
- 三宅博
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2011050516053509583
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000086997